今回は、僕自身が人生に疲れたのならば、と思うことを書きます。
参考:人生に疲れた時すべきこと
人生はしんどいことばかりです。
頑張っても必ず成果が出ると言うものではなかったりします。
しかし、頑張らない限りは前に進めないことばかりです。
立ち止まることが出来ない人生で必要になってくるものは、安息所だと思います。
人は2つの世界で戦っているのです。
1つはやらなければならない世界。
これは義務の世界です。
仕事や、家事、それから日々の生活。生きるために仕方なくこなしながらする世界。
2つ目に、意欲的に取り組める世界です。
言ってみれば、自分の頭で考えながら取り組むことが出来るそんな場所。
趣味、娯楽、それから副業なんかもカテゴライズされると思っています。
結論を書けば、僕は意欲的に取り組める世界を広げること。
ここが、疲れた精神の安息所になるのではないかと思ったりします。
結論:安息所とは自分が疲れても何とも思わない場所である。
人生につかれている人は
疲れても構わない
と思う、世界を見つけることに成果があると思います。
寧ろ、そこで疲れがそのままやりがいに転換される、そんな場所をみつけだすことです。
人為的に作り出された心休まる場所。
SNSを初め、心を休め、そして暇をつぶす場所は世の中にたくさんあるのです。
しかし、そういった場所でどれだけ心を休めても、時間が過ぎればまた元の残酷でしんどい世界に戻らなければならない。
つかの間の平穏を甘受するだけになります。
だからこそ、自発的に取り組める世界を探す。
周りの人がやっているから、
ではなく、
自分の価値観にあった場所を探すこと。
そうすると、日常の疲れと戦う術が見つかります。
ぶっちゃけ、しんどいことは無くなりません。
しんどいことは、一生しんどいのです。
だからこそ、人が編み出すべきなのはしんどいことに対して、どういった角度で接するかだと思われます。
そして、その接し方というのは、自分がシンドイと思ってかまわない世界にて頑張り続け、自発的にしんどいことに向き合うことにあるのだろうと思います。
日々しんどいと思って生きている人はシンドイこととの向き合い方を模索する経験が乏しかったりします。
しかし、自分の好きな分野で成果を出すために、遠回りをしたり、苦労をしたりし、その先に結果を出す手段を身に着けている人は案外日々襲い来る疲労と上手くやり合っていける素質があったりします。
物事を熱中できるレベルにもって行くには時間が必要だ。
「良い物」とは苦労しなければ手に入らないものが多いです。
自分が熱中できる世界を見つけ出すにも、最初のうちはしんどい思いをしなければならないものが多いと思います。
数学にしても、文学にしても、そうです。
最初のうちはつまらない文字列とにらめっこする、という糞つまらない過程を踏む必要があります。
しかし、その過程を踏んだのち勉強をして、理解が深まっていくと見える世界が変わります。
成熟度が高まると、次第にのめり込んでいき人は成長するのです。