歴代プロ野球において、最も総合力が高い野手は誰なのか。
筆者はイチローだと思っています。
投手能力を合わせれば、大谷だと思いますが、シーズンを戦い抜き、それを何年も続けていたことを考えると、イチローがぶっちぎっていると思っています。
野球はパワーとスピード。そのどちらも必要とされる競技です。
細身のイチローはパンチ力もありました。メジャー時代は内野安打が増え、シングルヒッターのイメージが強くなりました。
しかし、日本にいたころはまるで4番バッターが1番に座っているような貫録を感じました。
鞭のようにしなるバットから放たれる打球は並みのスラッガーより、はるかに速い速度で外野の間を抜き。時に、ライトスタンドに突き刺さったのです。
イチローが日本野球界に与えた影響。
それまでの時代、スターと言えばホームランバッターを上げることが多かったです。
落合、王、掛布、秋山。
相手チームのエースを粉々にし、試合を一発で決めてしまう大打者に多くの野球ファンは虜になりました。
そういった選手を球団の顔として扱うことが多かったのは事実ではないでしょうか。
弧を描くような打球が高々と舞い上がり、外野手は見送る。グラウンドに歓声が沸き起こる中に悠々とベースを回る。
まさしく、絵になるような一枚です。
しかし、ホームランバッターが多くのファンを魅了する中で、
イチローは違う形でファンを魅了したと言えます。
芸術的なヒット。華麗な守備、性格無比の強肩。そして、塁上を駆けまわる脚力。
全てが宝石にのように輝き、一挙手一投足にファン、グラウンド、同業者である野球選手が酔いしれたのです。
革命的でした。
グラウンドのあらゆるプレーにおいてイチローは存在感を放ち続けました。
秋山はそれに近いものはあったかもしれませんが、イチローの洗練されたそれは野球選手の粋を超え、アスリートとして日本を代表するものだったと思います。
ここまで完成された野球選手は、今までの時代もこれからの時代も中々出てこないのではないかと思ったりします。
イチローっていつから活躍をし始めたの?
イチローが活躍をし始めたのは、プロ3年目、1994年です。当時21歳。
打率.385を記録します。
そして、日本記録である210安打も同時に達成します。
21歳でこれだけの偉業を成し遂げています。
プロ野球にはビギナーズラックというものがあります。たまにものすごい勢いで打ちまくる選手が出てきたりします。
そういった時は全てが上手くハマっている時だったりします。月間で3割後半を打つことはありますし、ホームランだって、1月で2桁を記録する場合もあるのです。
しかし、1994年時のイチローは別格です。
1年を通して、怪物的な記録を残し続けます。
右に左に、プロの投手が投じる、真っ直ぐ、変化球関係なしです。左投手相手でも、まったく苦にしませんでした。
助っ人外国人が投じる、鉛のような剛速球も肘をたたんでセンター前にコーンと打ち返してしまう。
イチローの打撃フォームは完成されており、すべてのボールに対応しました。
洗練された怪物的バッターです。
イチローの打ち方
一風変わった打撃フォームでした。
振り子打法
と呼ばれる打ち方です。
流れるような動作から放たれる打球はとてつもなく速かったです。
しかし、動きをコマ送りにしてみると、その美しさに驚かされます。
高く振り上げた脚、しかし、全くぶれることのない軸。そして体に巻き付くようなバットは鞭のようにしなっています。
無駄な動き全てを省いた、機能美がそこにありました。
なるほど、細身な体でも、下半身と上半身を連動させてそれをバットに伝えることが出来れば、打球の速度は速くなるし、スピンもかかる。
本当に理にかなったバッターだなあ。
と思いました。
イチローの打球はめちゃくちゃ速いのです。
特に内角のボールを捌いて、1,2塁間を抜ける打球はあっという間にライトに抜けていきます。
それでも、逆方向の打球もそれに近いスピードが出ていました。
よくある左の技巧派バッターが打つ、レフト、ショート間にポトリと落とすような打球ではなく、強烈なスライスがかかり、ライン際を破るような打球も多かったです。
NPB、イチローのキャリアハイ
オリックス時代にイチローが残した記録で最も驚異的なものは、1995年の
打率.342
25本
49盗塁
80打点
だと思っています。
日本最終年にも、打率.387を記録していますが、この時はケガによってシーズンの大半を棒に振っていたりしました。
それを踏まえると、一年間フル稼働していた1995年がNPBキャリアハイではないだろうか、と思ったりします。それにこの年オリックスは優勝しています。
しかし、何度見ても恐ろしい記録です。
3割中盤の打率に、25本のホームラン。49個の盗塁。
そして守備においては、広い範囲と深い位置からでも正確に届くレーザービーム。
打って守って走る。
まさに野球選手としての究極系ではないでしょうか。
イチローと言えば、ホームラン自体はそこまで多くないイメージですが、本人曰く
確率を落として狙えば打てる
とのことです。
確かに、25本の本塁打からは、そのポテンシャルが見て取れます。
イチローが成し遂げた空前絶後のNPB記録
そういった中で、イチローが成し遂げた大記録と言えば、僕自身は
7年連続首位打者
ここになるのかなと思っています。
1年限りの大記録は案外出たりします。
しかし、真の実力者とは、1年だけでなく長い時間頂点に君臨し続けるのです。
バカ記録、7年連続首位打者
首位打者を連続で獲得するのはホームラン王や打点王を連続して獲得するのはわけが違います。
元来、ホームランは才能ある一握りの選手しか打てません。
ですから、上位に顔を出してくる選手は大体、決まっているのです。
打点王もしかりです。
しかし、首位打者は毎年顔ぶれが変わります。
- 勢いのあるルーキー
- 突如、テクニックが覚醒したスラッガー
- あらゆる投手を攻略するリーディングヒッター。
そういったこともあって、首位打者の獲得は毎年困難を極めます。
しかし、イチローは怪物ひしめくプロ野球の舞台においてデビューから7年間、打ちまくりました。
そして、実績ひっさげてメジャーに挑戦するのですから、やはり別格だったと思います。
ちなみにイチローのNPB通算打率は.353です。
この打率がどれだけ恐ろしいのかと言えば、
単年でもこれだけの成績を残すことが出来れば、20年間は仕事をしなくても良いぐらい、お金がもらえます。
(恐らく、1億5000万は堅い)
それぐらいヤバい記録を、イチローは日本のキャリアを通して残しているのだから怪物です。
メジャーリーグでのイチロー
イチローと言えば、筆者はオリックスでの活躍の方が印象に残ります。
しかし、世間的に評価されるのはやはりメジャーでの活躍ではないかと思います。
メジャーリーグでイチローは世界記録を保持しています。2004年に記録した262安打は不朽の大記録でしょう。
しかし、それ以上に超人的であるのはやはり安定して結果を残し続ける部分にあると思います。
200本を打ち続けたこと。
イチローの代名詞と言えば、200安打だと思います。
10年連続200安打は良くも悪くも、ヒットメーカーならば最強の証です。
私たち野球素人より、安打を打ち、塁に出るバッターならばよりその過酷さが分かるはず、とんでもない記録です。
「悪く」も、というのは200安打を打つためにいくらかの四球が犠牲になっているからです。
塁に出るのが仕事のリーディングヒッターにおいて、四球を選ばないのは間違いなくマイナス点です。
しかし、それを差し引いてもあらゆるボールを最強のアプローチ、とりわけ体を開かずに捌き続けた実績は確固たるものだったと言えると思います。
イチローは世界トップクラスのボールを見切り続け、研究と試行錯誤を繰り返し、結果を残し続けたのです。
しかも相手のインニングボールをことごとく捉えています。
低めに突き刺さるようなパワーカーブ、130中盤の逃げるようなチェンジアップ、100マイル近いファストボール。
そのすべてを安打に変えてしまうのです。
イチローの細いバットをメジャーでは、「魔法の杖」と称したそうですが、確かにそう言いたくなる気持ちも分かります。
WBCでのイチロー
そして、イチローについて語らねばならないのは、やはり世界大会でしょう。
韓国戦で放った同点打は、日本野球史に残る名場面として今後も語りつがれると思います。
当時の韓国代表はスポーツマンシップに反する行為があったこともありました。
そういったこともあって、圧倒的なヒールが出来上がっていたわけです。
その中において、イチローの一打は日本人の思い全てを乗せたモノでした。
しかし相手投手は剛腕の横手投げ投手。ややシュート気味にミットに吸い込まれる直球は1打席で攻略するのは困難かと思われます。
それでも、イチローは食い下がり、1球ごとにタイミングを合わせていく。そして、追い込まれたカウントから投じられた直球はセンター前にはじき返される。ランナーは二人が生還。2点を勝ち越し、その裏はダルビッシュ有が押さえて、ゲームセット。
2チャンネルのサーバーが落ちるほど、注目されたこの打席はやはり伝説の名場面と言えるでしょう。
それにしても、ホームランや長打ではなく、基本に忠実なセンター返しが素晴らしいです。
イチローは高校時代に
「センター返しなら、いつでも打てます」
と言って、監督を驚かせたそうですが、この大舞台でそれをやってのけるのはどこか、因縁めいたものを感じます。
まとめ
イチローが25歳の時に、落合博満と対談するという内容の動画がYouTubeにありました。
その時の印象的なコメントに
イチロー「僕よりもすごい奴があっちには沢山・・・」
落合「(食い気味で)いない!!」
というものがあります。
当時、メジャーリーグで和製野手がいない中での落合のこの発言は今考えてみると、すさまじいものであると思います。
打撃の天才だからこそ、見えるものがあると言うのでしょうか。
それはともかく、30年近くもグラウンドに顔を出し続け、そしてあらゆる場面において期待に応え続けてきた、稀代の天才には多くの夢を見せてもらったと思います。
野球について語るのであれば、この人について語る必要があると思ったので、今回は執筆させてもらいました。