日本最強の右バッターと言えば、そりゃもう落合博満を上げるでしょう。
ピッチャーのレベルアップ、打者の増量化、その他スポーツ科学の発展に伴って、過去の選手と今の選手を比較することは難しいです。
しかし、傑出度で見れば歴代最強は落合博満ではないかなと思ったりします。
左は言うまでもなく、王貞治ですが。
RC27という指標を用いた時、1974年の王貞治の数値は15に迫ります。
これは歴代でもぶっちぎりの数値です。
RC27とは?
選定した選手だけで打順が構成されたとき、アウト27個取るまでに何得点できるか?
を求める数値になります。
RC27が15ということは
1試合平均で、15得点を覚悟しなければならない。
ということになります。各球団のピッチャー陣は真っ青でしょう。
ウィキペディアRCから引用
ちなみに、このRC27は王貞治と助っ人外国人が上位を独占しています。
しかし、王貞治の牙城を崩すように、落合博満も6位と7位にそれぞれ位置付いています。
それぞれ、12.94、1284とあり、このどちらにおいても三冠王を獲得しています。
落合博満は右打者において、傑出度でも群を抜いているんですね。
落合博満とはどんな選手なのか?
落合博満は天才的なバッターと言われていますが、天才は天才でも長嶋や柳田のような野生型の天才ではなく、野球論理に通じた学者気質の天才だったと思います。
オレ流とも言われる、独自のやり方は、多くの野球ファンを魅了しました。
しかし、その根底にあるのは豊富な経験と独自の野球観であり、決して跳ねっ返りの精神で身に着けたモノではないことが分かります。
結果が出るからこそ、落合博満は独自の手法を用いて戦っていたのだと思われます。
落合博満の天才的なエピソード
落合博満は成績だけではありません。
プロ野球の歴史においても、類まれなる伝説を残しています。
「伝説」なので、多くの物は知られているかもしれませんが、せっかくなので紹介していこうと思います。
現役時代のエピソード
現役時代に残した伝説を解説します。
プロ野球初の1億円プレーヤー
落合博満と言えば、
プロ野球史上初の億越えプレーヤー
というのは野球ファン周知の事実。
1986年オフにロッテは稲尾和久監督を解任します。
落合は稲尾監督に恩がありました。
当然これに対して不満を抱き、猛抗議。
「稲尾監督のいないロッテに居続ける意味はない」
というコメントを残します。
これに対して、各マスコミは取り上げて、球団と落合の間では舌戦が繰り広げられるのです。
その後ロッテは表面上は和解するも、落合博満をトレードとして放出します。
相手は中日で
ロッテ:落合
中日:牛島和彦・上川誠二・平沼・桑田茂
の1:4トレードをもって、中日に移籍。
この時、移籍先の中日で歴史的な契約が成されるのです。
契約更改にて、落合は1億3000万円でサイン。
で、これがプロ野球史上初の億越え契約です。
1億円越えと言えばかなりめでたい印象を抱きますが、掘り下げてみれば中々生々しい話があったのです。
安打の節目においては全てホームランを記録。
天才的なバットコントロールを誇る落合。
ボックスの真横にあるテレビ局のカメラにボールを命中させる、死球を受けた東尾に報復のピッチャー返しを打つ。
などは、落合ファンならば知っていると思われます。
しかし、それ以上にすごいのは安打の節目である
500本、1000本、1500本、2000本
そのすべてをホームランで飾っているところでしょうか。
落合博満はホームランに対して以下のような哲学を語ります。
あれは狙って打つもの
つまり、落合博満は自身のメモリアルは狙って本塁打を打っていたことになります。
これと似た話で、イチローも100本塁打の相手は松坂大輔でしたし、プロ初本塁打は野茂英雄だったということがあります。
やはり、時代を超えた好打者は頭一つ抜けたセンスを持っていたのでしょうか。
プロ入りは26歳の時。
落合博満の偉業で一番ヤバいのは、これだと思っています。
プロ入りは26歳の時なのです。
単純に考えて、高卒よりも8年遅く、大卒よりも4年遅くプレーしています。
関わらず、あれだけの成績を残しているのは異次元です。
通算安打は2371本。本塁打は510本に及びます。通算記録は積み重ねの記録ですから、26歳でプロ入りした落合はどうしても不利になるのですが、関係ないと言わんばかりの通算記録です。
監督時代のエピソード
監督としても輝かしい実績を誇り、リーグ優勝4回、日本一1回。
中日ドラゴンズを率いて、名将に名を連ねました。
落合中日はどんなチームなのか?
ざっくばらんに言えば、
守備のチーム
だったと思います。
内外野共に充実しています。
特に落合ノックで鍛え上げた内野陣は鉄壁であり、荒木と井端の二遊間は未だに野球ファンの間では語り草です。
センターラインの充実度は2000年代最強ではないだろうか。
川上憲伸筆頭に充実した投手陣、座るのは実績ある名捕手谷繁、外野の要には強肩強打のアレックス・オチョア。
センターラインの重要性を野球ファンに改めて知らしめたのが落合中日だったなあと思います。
最強のドラゴンズはいつ?
さて、強力だったドラゴンズ。
その中でも最強は2006年であると、筆者は思いますが、どうでしょう。
投手陣は川上憲伸を初め、まだまだ稼働中の山本昌。13勝をマークした朝倉がいました。
締めには死神と呼ばれる、岩瀬がいました。
打線の中軸には3割5分、31本を記録した福留(翌年メジャー移籍)、そして47ホーマーのTウッズです。
そして、6番には一発のあるアレックスに、7番には熟練の打撃を見せる立浪。
この年の中日は本当に手が付けられなかった印象があります。
守備はもちろんのことですが、攻撃面においても抜かりなく、勝ちに行く野球をしていたなと思います。
朝倉や中田などがローテを回していたのですが、そういった中堅どころの投手も広くてフェンスの高いナゴヤドーム、堅い守備。そして好リードが光る谷繁がいたことが相まって第一線級の活躍を披露していました。
打撃の天才が作ったチームは守備第一だった。
選手時代は打撃の天才と言われた落合監督が、守備のチームを手掛けるのは意外だったかもしれませんが、
打撃の天才だったからこそ、打撃の当てにならなさ
これを知っていたのかもしれません。
実際に2011年に優勝した中日ドラゴンズの打撃成績は12球団で最下位でした。
しかし、堅い守備と強力な投手陣、および救援陣で勝ちを拾い続けたのです。
メディアを通して分かるすごみ
最後に、落合博満のメディアに通して分かるすごみ2つを紹介して終わろうと思います。
イチローの実力を見抜いていた。
渡米する前のイチローの実力を見抜いていた
というのは、野球ファンなら知っているはずです。特にYouTubeで野球関連の動画を見あさっているファンなら知っていると思います。
イチロー自身が
メジャーで僕よりもすごい打者なんて、たくさん・・・
と言った時、食い気味に
いない!
と断言したのは、今になってはすさまじい慧眼だったなと思います。
- メジャーリーグ投手の実力、内外野のレベル。
- くわえて、イチローが持っているポテンシャル。
この2つを考慮しなければ、そこまでの断言が出来ないはずですから、本当に僕たち素人が見えている世界とは別の物が見えているのだろうと思います。
大谷が40本打てることを予見。
2018年に放送された番組にて、
大谷は時間の使い方さえ覚えれば、40本打てる
と発言しました。
実際に、大谷は2021年シーズン46本の本塁打を放ちシーズンのMVPに輝く大活躍でした。
大谷のポテンシャルや打撃の柔らかさを評価したのなら、そういった評価をするのは普通だろ
と思う人もいるかもしれませんが、当時の野球界で大谷翔平が40本打てるなんて思っている人は誰一人としておらず。
寧ろ、
いつ、打者、もしくは投手に一本化するのか?
こちらが主流になっていました。
そう考えれば、大谷に対してここまで肯定的なコメントをしている落合博満の眼力には驚かされます。
まとめ。
野球界において、貢献してきた選手は多くいます。
僕自身、歴史上野球発展に最も貢献したのは野村監督だと思います。
が、落合博満もそれに近い貢献はしたのではないかと思います。
何しろ、今のプロ野球に億越えプレイヤーがたくさんいるのは、落合博満の力が大きいからです。
お金にうるさいと言えば、少し小ズルいようなイメージがつきます。
しかし、落合博満は野球という競技自体に大きな夢を与えるために、契約を勝ち取り続けたのです。
多くの人間の関心が向くのはお金です。ド級のホームランや160キロのストレートも夢があります。
しかし、己の腕一本で数億円の契約を勝ち取るプロスポーツ選手もまた違う意味で大きな夢があると思います。
特に社会に出て、お金のありがたみを知った社会人からすれば、本当に夢ある世界だなと思わされます。
プロ野球を「老若男女が憧れるスポーツ」に押し上げた、落合博満の業績は個人的には計り知れないと思い、それに伴って今回はこういった記事を書かせていただきました。
ここまで読んで頂き、楽しんでもらえたのであれば、嬉しい限りです。
ご清聴ありがとうございました。