加藤純一の偉大なる経歴を知っている人は実のところかなり少ないのかもしれない。
しかし、配信モンスターと呼ばれるに至ったその道のりは平たんではなかった。インターネットヒーローと呼ばれているが、彼の人生は日陰役から始まったと言っても過言ではない。
加藤純一の母校は石川県の名門、星稜高校である。
同級生には松井秀喜がいた。
あの松井秀喜が世間から注目を集める中、加藤はその引き立て役をしていた。3番遊撃手で試合に出続けるモノも、ゲームでの役割はヒットや四球で松井の前にランナーを貯めるといったものだった。
しかし、加藤はそういった仕事を黙々とこなし続けた。
高校卒業後は長嶋茂雄に惚れられてドラフト一位指名されるも使命拒否。茂雄は仕方なく秀喜を指名。その後秀喜はヤンキースの4番を務めるまでに成長した。
ちなみに茂雄はセコムのCMをする割には、家に空き巣に入られるなど、お茶目な男だ。
加藤純一の転機
加藤純一の転機は2009年、ニコニコ動画にあった。
6画面ポケモンで人気に火がつき、そこからパワプロ8のサクセス動画でその人気に拍車がかかった。
当時のニックネームはうんこちゃん。
2009年は動画配信界の転換期だった。
永井先生、ウナちゃんまん、JUKE、藤崎瑞樹などの重鎮が全盛期を過ぎてニコニコの未来が不安視された中で現れた超新星。
業界の視線は加藤に降り注いだ。
その人気は業界を超えて、松本人志の耳にも届いた。「ダウンタウンデラックス」では
「今年のM1は粒ぞろいやった。それでも、うんこちゃんの動画を見る限りでは、彼らはまだまだやね」
と言ったコメントを残している。
3年後の2012年。
モンスタファーム2を実況する。
加藤純一のマスコットキャラとなったオクレイマンだが、この配信から生み出されたキャラクターである。
オクレイマン。
オクレイマンはパワーファイターであり、一撃必殺を信条としていた。低確率の中Aランクの猛者相手に攻撃を当てまくった。
確率などオクレイマンのパワーの前では些細なことでしかなった。特にバックナックルを50回使用した後に習得したドラゴンナックルは最強格のドラゴンの鱗さえももろともしない。
予想を上回るオーバーキルにAランク会場は返り血と死臭でむせ返る惨劇となった。
最後は、最強のモンスターの祭典Sランク公式戦にも出場し、快進撃を続けた。特に火山に赴いて習得したフジヤマオトシはカンストダメージを叩きだすなど、オクレイマンの最強技として存在感を放った。
フジヤマオトシを筆頭にSランクモンスターを次々と撃破。最後は幸運と父オルドーフの粋な計らいもあり、優勝を飾る。
そして、最高の戦いを勝ち抜いたモンスターとブリーダーには招待状が贈られる。4大大会である。
しかし、偉大なる大会に出場を決意した前日。息を引き取る。4歳7か月あまりにも早すぎる死だった。
それでも、小屋の中でオクレイマンはファイティングポーズをとった。いまだにオクレイマンは戦いに身を投じているのかもしれない。
モンスターファーム2、実況の評価。
うんこちゃんのモンスターファーム2のゲーム実況こそが、世にあるゲーム実況の中で最強の放送であると疑わない人は多い。
知名度はないが、知る人ぞ知る名実況として界隈では語り草となっているのだ。
引退と復活。
加藤純一は引退と復活を繰り返していた。
友人を人質に取られたこともあった。
通称エンジェル事件と呼ばれたこの事件。新参の加藤純一ファンではなく、当時から視聴しているうんこちゃんファンは良く知っているのではないだろうか。
純の個人情報を公開しようとした輩がいた。悪魔的な行動に働いたのはなんと、女性だった。
彼女は純一だけでなく友達の個人情報を視聴者に公開すると言った。また、松井秀喜が見ているAVも公開するともいった。
自分だけならばいざ知らず、背中を預け合っていた友人を傷つける行為にうんこは引退を決意。これにはうんこちゃんだけでなく、そのファンも行き場のない怒りを感じていたのだ。
しかし、数か月後、電撃復活を果たした。
うんこちゃんは手ぶらではなかった。
今度は逆にエンジェルの個人情報を特定し、それを武器に配信を行った。
エンジェルは背走。
これによって、配信者うんこちゃんは見事に復活を遂げたのであった。
顔出し
うんこちゃんが加藤純一になった。
2015年、今から7年前のことである。
顔出しを行った。
この時は業界に激震が走ったとか、走らなかったとか、ファンの間では話題になったけど、キヨの素顔公開の方が衝撃だったとか。
しかし、思いのほかカッコよかったのか、信者衛門からはさらに支持されるようになった。
ここら辺から、信者衛門が自我を持ち他者のコミュニティを荒らすようになる。
そして、その影響力はすさまじくなんと引退するものまで出てきた。脳という配信者は個人情報が特定された。
彼の配信中に放った発言
「うんこちゃんの配信ぐらいなら、俺でも真似できる」
は、多くのファンの逆鱗に触れた。その結果が上記の惨劇を生むことになった。
同業者の意見
松本人志や紳助もこの発言には異を唱えており、
松本人志は、ラジオ番組で
「脳ってやつを最近知った。ネットでは5割以上がしらへんねんて。なんでみんなもっと怒らへんのや!?」
と発言。
島田紳助に関しては、
加藤、後は任せとき
と言ったコメントを残している。
また、ウナちゃんマンに関しては、
ノーコメントで
と、触れたがらないようだった。
同接伝説。
加藤純一は数字もすごい。実力がそのまま配信に表れている。
最高同接は42万人。これは東京ドーム8個分の収容人数である。
歴代日本の最高同接は天皇陛下の玉音放送「日本が負けたぞ!放送」で7000万人。
当然、足元にも及ばない。
しかし、そこら辺の芸能人に負けない同接数はそこら辺のユーチューバーでは相手にもならない。
加藤純一の眼光は世界に向いてぎらついている。
最後に
これからも加藤純一は様々な歴史を残していくだろう。
彼の全盛期は未だ、訪れていない。配信Contentsあるところに加藤純一は現れる。彼にとって放送が出来れば、そこがアフリカだろうと刑務所だろうと関係ないのだ。
また、人間的な全盛期を考えてみても、まだまだ余裕ではないだろうか。
松本人志の全盛期が30年以上続いたことを考えると、芸能人よりも体力を必要としないゲーム実況者はより長い時間を生き続けることが出来るだろう。
1年ごとにファンの心に残り続ける歴史を残していく加藤純一の生き様は、これからも多くの人間の脳裏に焼き付けられることだろう。
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