加藤純一最強!!
今や、インターネットにおいてその名を知らないものがいない、加藤純一。
母校の星稜高校では松井秀喜とともに主軸を張り、長嶋茂雄に熱烈なラブコールを受けていた物の、実況者の世界に入った大物である。
長嶋茂雄はその当時のことを思い出しながら
「仕方なく松井を取った」
「本当は加藤を一本釣りしたかった」
と語っている。
松井秀喜は加藤純一について
「彼のバッティングには品がある。」
「松井ネット?加藤ネットです。」
「Aロッドに彼の打撃フォームを見せたら、薬を使い始めた」
「人間としても尊敬している」
とコメントを残している。
そんな加藤純一が最強な理由を皆さんはご存知だろうか。
トーク力と言えば、ヒカルやコレコレなどが口達者な部類として挙げられる。
確かに軽快で話は聴けるが、心の底から笑わせてもらうものはない。
「トークには種類があって、彼らは聴かせるトークだ」
一理ある。
しかし、加藤純一のトークはあの明石家さんまからして
「ダウンタウンが霞んで見える」
「紳助の生まれ変わりや、いやこれは加藤に失礼やな」
「タモリと、交代してほしい」
と高い評価を受けているのだ。
視聴者や同業者だけでなく、多くの著名人から評価を受けている加藤純一の凄味はどこにあるのか。深堀してみたいと思う。
加藤純一が最強だ。
加藤純一のトークは柔軟である。
その柔軟性は引き出しの多さから来ている。
多くの引き出しがあるからこそ、一つの物事に対して多角的に鋭い意見を瞬発的に出せる。
笑いは内容とテンポの掛け算である。
内容が良くても間が悪ければ、それは笑いでなくなる。
しかし、加藤純一のトークはテンポと内容が良い。しかも、ゲーム内で起こっていることに対して、的確な回答を常に出し続けている。
これは、すごいことで、ボクシングで言うなればクリティカルヒットを出し続けるようなものだ。
しかも、加藤の笑いは型にはまったものではなく、遊びがある。その遊びの世界に視聴者を引き込むことがピカイチなのだ。
さきほど、ヒカルやコレコレについて話したが、彼らは視聴者を呼ぶことが出来るし、それで商売を成り立たせることが出来る。
これは並大抵の素人にできることではない。だからこそ、再生数も伸びているし、人間も集まってくる。
しかし、彼らには、世界がない。あくまでも平面世界で会話をしているのだ。加藤純一は文字通り次元が違い、彼の口から出てくる言葉は3次元なのだ。
一つの物事に対して色々な角度から話すことによって多角性が生まれる。
それが、視聴者の脳みそを刺激し、その世界に没頭させることが出来ている。
こんなことが、出来るか?
他の配信者にできるか?
彼にかなうものなどいるのか?
いや、いない、
だからこそ「加藤純一、最強!!」とコメントをしても、コムドット、ヒカル、コレコレ、シバタ―、東海オンエア、ヒカキンなどの強豪ユーチューバーは何一つ言い返せないのである。
加藤純一が最強でなければ、
「あんな奴最強ちゃうやろ」
と言い返すことが出来るが、言い返さないということはつまりはそれを認めているということに他ならないだろう。
加藤純一の真似をする若者や視聴者いるが、辞めた方が良い。
加藤純一の視聴者は多くいる。
そして、同業者にも加藤純一を心酔しているモノもいる。
しかし、憧れが強すぎて時として
自分が加藤純一になった気でいる実況者も数多くいるのだ。
これは、いただけない。
確かに真似は成長の発露である。
かの天才打者イチローは少年時代にナゴヤ球場に足を運び、田尾選手を初めとするレギュラー陣の打ち方を真似していたという。
しかし、それはイチローだからこそできたことであり、逆に普通のバッターがイチローの振り子打法やメジャーリーグでの変態打ちを真似できるか?
と聞けば、それは間違いなくNOなのである。
加藤純一にしてもそれは同じことである。
加藤純一の話し方は加藤純一がだからこそできる。
トルネード投法、一本足打法、神主打法、カリーの3P、クリロナのドリブル、
一流選手にはその選手を象徴する最強の型が存在するわけだが、加藤純一にもそれは言えることである。
そしてそれは、独自の経験則と自身と向き合った時に生まれてくる、偶然の産物なのだともいえる。必然的に「こうなろう」として成ったのではなく。歩き続けてきた中で、たどり着いた答えなのである。
だからこそ、実況者はネクスト加藤純一を目指すのではなく、自身が新しいタイプを生み出すという気概を持つべきなのだ。
つまるところは、他人の下駄を履くのではなく、自分自身の足で前に進むことが大事なのではないだろうか。
加藤純一と信者衛門
信者衛門がいる。
彼らは、加藤純一の従順な手下である。
一般的に彼らは社会の吹き出物と言われ、多くの人間からは煙たがられる。
それもそのはずで、加藤純一がひとたび配信者の名前を出せば、ピラニアのようにコメント欄に好き放題書きなぐっていく。
そういった素行の悪さを見て、辟易している人間がいることもまた事実である。
が、実のところ他の配信者のファンと比べれば、優良なファンなのではないだろうか。
実際に彼らのコメントが流れて来たときに笑うことも多く、また、変になれ合わないところはすごく好感触である。
他の配信者のファンはどうであろうか。
まるで、自分が配信者の彼氏、彼女になったような気でいる奴らばかり。
悪いことではないが、見ていて面白いかと言われればかなり微妙だ。
信者衛門の荒しとスズメバチの生態。
信者衛門は他人のコミュニティを荒らす存在ではある。しかしながら、コメント欄を見ていて不快になることはなく、むしろ面白く感じる。
実際に問題を起こしたユーチューバーの動画に信者衛門が流れ込んできて、コメントをして行ったりすることは多い。
しかしながら、そのコメントがあるおかげでそのユーチューバーに対する批判が見えなくなるという素晴らしい利点があるのだ。
これは、スズメバチが要るおかげで絶滅しない日本ミツバチと同じような構図である。
日本ミツバチの天敵である、西洋ミツバチは日本ミツバチの巣から根こそぎはちみつを奪い取ってしまうのだ。
日本ミツバチはこれに対して対策手段を持たない。だから、西洋ミツバチの数が増えると、日本ミツバチは数を減らして絶滅してしまう。
しかし、西洋ミツバチは日本ミツバチと違い、スズメバチに対して対策手段を持たず、ひとたび、巣が襲撃されれば全滅してしまうのだ。
日本ミツバチはスズメバチに対して、対策手段があり、撃退も出来る。
本来害となる存在が、状況次第で自分たちに味方してくれる。自然界ではこういったことがたまにあるが、
信者衛門は西洋ミツバチを撃退するスズメバチの役割を持つのだ。
そう考えれば、
信者衛門に感謝こそすれ、嫌悪を抱く人間はお門違いだ
という見方も出来るだろう。
勿論、逝き過ぎるところもあるだろう。
それでも、信者衛門がコメントをしに行くことで動画の再生数だって増えるし、コメント欄の辛気臭い雰囲気も吹っ飛んでしまうのだ。
人生を振り返ってほしい。
何かしらやらかしたときに、同僚から腫れ物に触られる思いをするのと、
「おまえ、ほんまあほやなwww」
と茶化してもらうの。
どっちがうれしかっただろうか?
間違いなく後者ではないだろうか。そう考えれば、信者衛門は幸福を運んでくる青い鳥のようにだって思える。
最後に加藤純一の今後。
今回は加藤純一が最強である、という話をした。
最強であることにフォーカスをしすぎたせいで、色々な部分が抜け落ちるページとなってしまった。
しかし、そういった歪さもまた加藤純一について取り上げた記事らしいともいえるのではないだろうか。
ということで、これと言った書き直しもなく最後の話をしていきたいと思う。
今後の加藤純一がどうなるのだろうか。
それは、いっこうに分からない。
しかし、これと言った細工もなくひとたび配信のスイッチを押せば笑いを届けてくれる「うんこちゃん」は、あらゆる配信サイトで無敵の戦闘力を誇るのではないだろうか。
どんな勝負も結局はシンプルな奴が強い。
かつての松井秀喜のように、特別な打ち方をしなくて、ただバットを振り回すだけでホームランを打てるような、そんな強さが今の加藤純一にはある。
我々は、その配信を追って大脳を摘出しながらお互いのことを嫌悪しながら笑いあっていけば良いのではないだろうか。