未来・第287号


            未来第287号目次(2020年2月6日発行)

 1面  広島高裁
     伊方原発 運転差し止め
     規制委の判断は不合理

     辺野古新基地
     設計変更申請を許さない
     作業急ぐ防衛局、連日の攻防

     (定点観測)
     安倍政権の改憲動向
     疑惑一切触れず、改憲強調

 2面  東京高裁
     市東さんの農地裁判・請求異議審
     3月結審、一方的に通告

     今年こそ安倍打倒の年に
     大阪で総がかり行動
     1月19日

     なぜ若狭に原発が来たのか
     貧困と過疎の地をねらう

     原発マネー不正環流事件
     地検は告発を受理せよ

 3面  狭山――つながりをちからに
     第4回・狭山事件の再審を実現しよう
     市民のつどいin関西のよびかけ      

     読者の声
     「ぼくが生きる道」
     あの日、あの時の糟谷君
     兵庫県 石束 隆     

     読者の声
     ギグ・エコノミー
     巧妙化する労働者の搾取形態
     東京都 鈴木一郎

 4面  直撃インタビュー(第40弾)
     復帰運動、沖縄と憲法、辺野古
     沖縄・本土を見つめる 富樫守さんに聞く(下)

 5面  〈連載〉まっちゃん、これでええかな(3)
     脳性マヒ者へのいじめ
     脳性まひ者の生活と健康を考える会
     元関西青い芝の会連合会会長 古井正代さん

     連載 命をみつめて見えてきたもの E
     ガンの自然退縮
     有野 まるこ

     第11期沖縄意見広告運動始まる
     完成のメドない辺野古新基地

     (冬期カンパのお願い)

 6面  三・一独立運動100周年が日本人に問いかけるもの(上)
     米村泰輔

       

広島高裁
伊方原発 運転差し止め
規制委の判断は不合理

勝利判決後、広島弁護士会館で記者会見、質疑応答(1月17日)

伊方原発から50キロ県内に住む山口県の住民らが、3号機運転差し止めを申し立てた仮処分の即時抗告審で1月17日、広島高裁(森一岳裁判長)は、運転を認めない決定を下した。原発運転差し止めや禁止を命じる高裁レベルの決定は(3・11以降)2件目。この日、原告団・弁護団、支援者らは「裁判所には伊方原発を止める責任がある」の横断幕を持って広島高裁へ乗り込んだ。広島、大分、愛媛、高知などからの仲間、大阪から駆け付けた水戸喜世子さんの姿もあった。「勝訴!」「伊方3号機、運転停止」が広げられると、高裁前は歓声に包まれた。涙を流し、抱き合って喜び合う。「ウィーシャルオーバーカム」の合唱。阪神淡路大震災から25年の日だった。

規制委の判断は誤り

中村覚弁護士は、「ほぼ全面勝訴」と宣言し、「@山口地裁岩国支部で係争中の差し止め訴訟判決の言い渡しまで、四国電力伊方原発の運転を認めない、A活断層が原発敷地に極めて近い場合の地震動評価や調査が不十分、B四電の阿蘇カルデラ噴火による影響想定は過小、C原子炉設置変更許可申請を問題なしとした規制委の判断は誤り、不合理」と判決要旨を解説した。 その後、広島弁護士会館で報告会と記者会見、質疑応答。住民側から中村覚、平岡秀一弁護士らが「いちばん大きな論点だったのは、活断層と火山。その二つ、われわれの主張を認めたまっとうな判断であり、司法の役割を果たしてくれた。運転停止の判断確定まで続ける」と話した。弁護団声明も発表された。 住民や支援者らは「(阪神大震災の)1月17日に決定がでた。地震の危険性を改めて思い起こす」「瀬戸内海をこれ以上汚したくない。子どもたちに原発を残さない」「離島住民は事故が起こったら避難できない」などと訴えた。

四電が異議申し立て

伊方原発では定期検査中に相次いでトラブルが発生している。1月12日、核分裂反応を抑える制御棒が誤って引き抜かれる事故があったばかり。20日には、核燃料を移動中に落下したことを示す信号が発信された。25日は全外部電源からの受電が10秒程度停止する事態も発生した。 四電は事故やトラブルの発生を受け、異議申立てについては、「今はその状況ではない、当面見送る」(1月27日)と、運転停止の仮処分への異議申請を保留するとしていた。 ところが30日になり突然、相次ぐ事故やトラブルの原因究明を待たずに異議申し立てを申請すると発表した。安全よりも原発の運転を優先する四電の企業体質がここに表われている。

原発ゼロを社会通念に

今回の決定は、全国の反原発運動に大きな勇気を与える。裁判闘争は反原発運動の一環であり、判決を契機に「原発をなくせ」の圧倒的な世論を広げていこう。今回、「阿蘇大規模噴火時の火山灰の影響評価も過小だ」と判断した。九州電力の玄海、川内原発の訴訟などでも、火山リスクが争点になっている。 全国の反原発運動が連携を強め、いわゆる「社会通念論」を突破し、さらに「原発はいらない」の声を大きくあげていこう。(江田 宏)

辺野古新基地
設計変更申請を許さない
作業急ぐ防衛局、連日の攻防

キャンプ・シュワブゲート前に座り込んで抗議する市民ら(1月27日 名護市内)

1月6日 2020年の辺野古新基地建設阻止のたたかいが始まった。この日から防衛局は埋め立て作業を再開。
キャンプ・シュワブゲート前では早朝より市民が座り込み。ゲート前からは57台の工事車両が入った。海上では、土砂投入の準備が始まった。海上行動隊はカヌー8艇で抗議行動を展開した。
16日 「第3木曜日大行動」に250人の市民が決起。三線や歌や踊りで心を一つにした。参加者からは「今年も頑張ろう」との声が上がった。海上では、埋め立て工区に土砂が投入された。塩川港と安和琉球セメント桟橋でも抗議行動。この日2カ所で10トンダンプ1121台の土砂が運搬船に積み込まれた。
20日 安倍首相はこの日開会した通常国会の施政方針演説で、米軍普天間飛行場の返還と政府方針の名護市辺野古への移設にはふれなかった。軟弱地盤改良で新基地の完成が2030年代半ば以降と防衛省が事実上認める中、普天間問題への説明を避けた。 
また、この日防衛省は、辺野古の新基地建設で軟弱地盤の改良工事に伴い設計変更しても環境への影響は「当初の計画の予測結果と同程度か、それ以下」との見解を示した。政府は本年度(3月31日)にも設計変更を県に申請する見通しだ。
この日海上では、作業船の埋め立て工区への侵入を阻止しようと、早朝よりカヌー6艇と抗議船2隻で抗議の声を上げた。ゲート前には市民60人が座り込みに決起した。
21日 この間、土砂の運搬船への積み込みが増加している。この日は安和琉球セメント桟橋で10トンダンプ722台、塩川港で432台、計1154台の土砂が運搬船に積み込まれた。これにたいし、市民50人が2カ所で抗議行動。安和桟橋付近の海上では、運搬船の出港を止めようと市民らがカヌー7艇、ボート1隻で抗議行動を展開。ゲート前から185台の工事車両が入った。辺野古海上では運搬船7隻が埋め立て工区に入った。
27日 キャンプ・シュワブゲート前で、市民50人が早期より座り込み、抗議の声をあげた。
この間、土砂投入の増加と同じようにゲート前からも工事車両の搬入が増加している。防衛局は作業を急いでいるようだ。
2020年沖縄のたたかいは開始された。政府の本年度の設計変更申請を許さないたたかいに連日決起している沖縄県民と連帯しよう。(杉山)

(定点観測)
安倍政権の改憲動向
疑惑一切触れず、改憲強調

1月20日、議員会館前で国会開会日行動

1月20日、通常国会が開幕した。安倍首相は施政方針演説で大学入試の記述式問題導入の撤回、桜を見る会の招待者名簿・公文書の破棄隠蔽、後援会からの大量招待、IR汚職、菅原経産相の選挙違反辞任、河井参院議員の選挙違反容疑・河井法相辞任などにまったく言及せず。「東京五輪・パラリンピックに日本全体が力をあわせ、世界中に感動を与える最高の大会とする。1億総活躍、人生百年時代は大きなチャンス(70歳まで働け)」「日米安保改定から60年、日米同盟はかつてなく強固」と賛美する一方、日米貿易交渉の一方的譲歩や米要求に忠実な武器の爆買いなどには触れず、辺野古新基地問題は無視した。
 おわりに「社会保障(削減、切捨て)をはじめ、国のかたちに関わる大改革を進める。令和の新しい時代の始まり」とし、「国のかたちを語るもの、それは憲法。その案を示すのは、私たち国会議員の責任。いまこそ憲法審査会の場で、共に責任を果たしていこう」と、憲法審の審議入りを強調した。

2面

東京高裁
市東さんの農地裁判・請求異議審
3月結審、一方的に通告

市東孝雄さんらを先頭に東京高裁へデモ(1月16日)

審理打ち切り強行

 1月16日、市東孝雄さんの農地に対する強制収用をやめさせるための請求異議裁判・控訴審の第2回口頭弁論が東京高裁で開かれた。第1回裁判で菅野雅之裁判長は、原告の市東さん、被告の成田空港会社(NAA)双方の主張を聞き、慎重に審理を進めるかのような姿勢を見せた。しかし今回の法廷では、NAAから反証の書面が出されるや、一転して審理を打ち切り、原告・弁護団、傍聴者の抗議のなか、3月結審を一方的に通告した。
 菅野裁判長の、一審不当判決を是認し、控訴棄却する意図は明らかだ。絶対に許すことができない。次回3月25日には、市東孝雄さん本人、平野靖識さんが証言、石原健二さんが補佐人として証言に立ち、強制執行の不法・不当性を徹底的に明らかにする。さらに3月27日、弁護団から最終弁論がおこなわれる。3・25−3・27裁判闘争・傍聴闘争へ結集しよう。

東京高裁へデモ

 裁判に先立って日比谷公園霞門前に三里塚芝山連合空港反対同盟、支援者が集まり、「慎重審理を求め早期結審策動を許さない」と、集会と高裁へのデモがおこなわれた。集会では、反対同盟を代表して萩原富夫さんがあいさつに立ち、動労千葉、関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会が発言、口々に「農地取り上げ、強制執行は許されない」「慎重審理を、早期結審は許されない」と訴えた。
2時に開廷した裁判では冒頭に、内藤光博補佐人(専修大学教授)が、憲法学の立場から民事訴訟を使った公用地収用は許されない、農家の生存権の基盤を奪うことは許されないと証言。続いて、NAAが提出した書面への弁護団からの徹底批判と反論がおこなわれた。NAAの主張は27頁にも及ぶ書面だが、中身のないこれまでの主張のくり返しだ。

NAAの詭弁

 焦点は、「あらゆる意味で二度と強制的手段を用いない」とする成田シンポ・隅谷提言に関する主張だ。この社会的公約を「話し合いが頓挫した場合まで言及したものではない」とか「民事訴訟での土地明け渡しを放棄すると約束したものではない」などと詭弁を弄している。「あらゆる意味で」に、「話し合いが頓挫した場合」や「民事訴訟は別」などという解釈の入り込む余地はない。弁護団が誠意ある回答を促すよう裁判長に求めたのに対し、菅野裁判長は「これ以上の立証を求めない」とNAAを擁護。そして、次回裁判での弁護団提出の6人の証人のうち市東さん、平野さんの証言と石原補佐人の証言を採用、ほかの不採用を通告、審理の打ち切りを一方的に通告。この暴挙に傍聴席から裁判所とNAAに終始激しい批判と抗議が飛び交った。 裁判終了後の報告会で市東さんは「求釈明に対するNAAの不誠実な対応、本当に絶対許せない。もっと叩いて裁判長の耳に届くようなたたかいをしていきたい」と訴え、弁護団各々から発言があり、3・25―27証言と最終弁論への結集を確認した。
(野里 豊)

今年こそ安倍打倒の年に
大阪で総がかり行動
1月19日

 通常国会開会前日の1月19日、大阪市内で、おおさか総がかり行動実行委員会主催の「『桜』疑惑、カジノ汚職徹底追及! 自衛隊を中東に送るな! アベ政治を終わらせよう! 1・19国会開会前日市民アクション」がおこなわれた(写真)。どの政権よりもすさまじい安倍政権の腐敗ぶり、開き直りに怒りの発言が続いた。主催者あいさつを中北龍太郎さんがおこない、各政党のあいさつに。立憲民主党衆議院議員の尾辻かな子さん、社会民主党の大椿ゆうこさん、れいわ新選組の大石あきこさん、共産党衆議院議員の清水ただしさんが発言した。大石さんは、「維新は安倍の新自由主義を大阪でやろうとしている。維新・公明とガチンコ対決し、大阪都構想を止めれば安倍政権打倒につながる」。清水さんは、「20日から始まる国会で、安倍政権に代わるもう一つの選択肢として野党が結束して頑張る」と決意を述べた。

改憲勢力倒そう

 次におおさか総がかり実行委員会を代表して大阪憲法会議の山田憲司さんが発言。「私たちの運動は世論を変えてきた。改憲発議を阻止しつづけている。安倍改憲反対、IR見直しは6割を超えている。今年こそ安倍打倒の年にしよう。『安倍を倒す』だけではだめだ。自公改憲勢力を丸ごとひっくり返して改憲を許さない、立憲主義にもとづく当たり前の政治を実現するために、2020年総がかりを各団体が大きな運動に広げていこうと力強くアピールした。
戦争をさせない1000人委員会・大阪の共同代表である米田彰男さんが閉会のあいさつ。「『桜を見る会』のことは8割の人が納得していない。自衛隊の中東派遣には正当な理由がない。戦争で被害を受けるのは一般市民だ。世界に誇る憲法9条を守るためにがんばろう」と集会を締めくくった。その後、参加者は御堂筋をにぎやかに行進した。

なぜ若狭に原発が来たのか
貧困と過疎の地をねらう

 1月13日、「原発ゼロをめざす学習講演会」が奈良市でおこなわれた。〈原発ゼロ震災復興をめざす奈良のつどい実行委員会〉が主催し、〈さよなら原発なら県ネット〉が協賛。集会では、山本雅彦さん(原発問題住民運動福井・嶺南センター事務局長)と森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)が講演した(写真)
山本さんは「再稼働を許さない福井の住民運動について」と題して福井の運動を詳しく報告した(講演要旨は別記)。森松さんは、 「今年はオリンピックの年。安倍首相はアンダー・コントロールと大うそをついて誘致した。政府はオリンピックを契機に原発避難者をゼロにすると言っているが、わたしたちはこんなことを絶対に許さない。福島原発事故は放射能ばらまき事件であり、避難の権利は人間に普遍的な人権なのだ」と話した。

地域ゆがめる原発政策

山本雅彦さんの講演要旨

 リアス式海岸が広がる若狭は活断層と地震が多いところだ。中央構造線の紀伊半島部分を底辺にした「近畿トライアングル」という断層帯がある。若狭はこの頂点に位置している。直下型の地震がおきる可能性が極めて大きい。こんなところにどうして原発がつくられたのか。
若狭は産業がなく、貧困で過疎の地であった。電源三法(1974年)ができるまでは、「地域振興策」で原発建設(9基)を推進した。電源三法ができてからは、多額の「交付金」と固定資産税と寄付金によって原発を推進した。その結果、嶺南地方では製造業が衰退し、土木建設業が非常に多い。原発が地場産業発展の「足かせ」となっているのだ。
3・11以前も、わたしたちは原発反対のとりくみをやっていた。1982年大飯3、4号機増設、92年敦賀3、4号機増設に反対する運動、99〜00年高浜3号機のプルサーマル運転に反対する運動などだ。3・11以降、原発反対運動はおおきく変わった。16年1月、「高浜再稼働を許さない!全国集会」には高浜町文化会館に全国から600人が集まった。この集会に高浜町からも町民が約200人参加した。今までになかったことだ。
関電の原発マネー不正還流は、腐敗構造を推進してきた政府、それをおこなった関電に責任がある。高浜原発1号機の設置許可(69年12月)や、高浜3、4号機設置許可(80年8月)をめぐっても、同じことがおこなわれてきた。3・11以降、関電は再稼働を実現するために、反対運動をつぶす必要があった。このために、関電はますます森山栄治との関係を深めていった。08年から今日まで、経済産業省は4人の出向者を高浜町に送りこんで再稼働を推進し、「交付金」をばらまいてきた。昨年12月、わたしたちは大阪地検に告発をした。「森山メモ」を明らかにさせるには、大阪地検を動かす以外にない。(津田保夫)

原発マネー不正環流事件
地検は告発を受理せよ

 1月27日、〈関電の原発マネー不正還流を告発する会〉がよびかけ、「起訴を求める!大阪地検前行動」がおこなわれ70人が集まった。関電の原発マネー不正還流については、全国から3272人が告発人になって、12月13日に関係した関電役員を大阪地検に告発した。大阪地検はいまだ正式受理せず捜査を開始していない。関電の第三者委員会の報告が遅れており、年度内も無理といわれており、第三者委員会の報告を待って、大阪地検は判断するとしている。
この日の行動は、大阪地検が直ちに告発状を受理し、厳正な捜査と被告発人を起訴することを求めておこなわれた。
 冒頭、「告発する会」事務局の宮下正一さんが、全国から多く告発人になってくれたことに対するお礼と、原発マネーのヤミを白日の下にさらすまで協力をお願いしたいと述べた。参加者のリレートークがおこなわれ、口々に、大阪地検は告発を受理し、真相を解明し、被告発人を起訴することを訴えた。最後に大阪地検に対して「告発を受理しろ」「捜査を尽くせ」「真相を明らかにしろ」とコールをあげて、この日の行動を終了した。

3面

狭山―つながりをちからに
第4回・狭山事件の再審を実現しよう
市民のつどいin関西のよびかけ

私たちは、関西各地の「狭山事件の再審を求める住民の会」が共同でよびかける年に一度の集会実行委員会です。一口に「住民の会」と言っても、第二次再審闘争以来、長年にわたって活動を続けてきたグループあり、第三次再審闘争で証拠開示が始まって以降新たに発足したグループあり、性格も経緯は様々ですが、これら新旧のグループがフェイスブック等を通して知り合い、石川一雄さんの今を広く市民に知ってもらおうと年1回、市民のつどいを開催してきました。

もう先延ばしできない

狭山事件の第三次再審請求は2006年に提訴され、09年9月に裁判所、検察、弁護団の三者による協議がスタート。同年12月には東京高裁が証拠開示勧告をおこない、現在まで200点余りの未開示証拠が開示されてきました。特に一昨年8月に提出された万年筆のインクに関する下山第2鑑定は、石川さん宅から発見された万年筆が被害者のものではなく、ねつ造された証拠であることを科学的に証明した画期的な新証拠です。しかしながら、検察は、1年半以上にもわたって下山鑑定に対する反論を引き延ばし、裁判所の鑑定人尋問・再審決定は先延ばしにされています。石川一雄さんは今年81歳。再審裁判のこれ以上の遅延は許されません。

関西でキャラバン

こうしたことから、私たち市民のつどい実行委員会は、昨年9月23日に釜ヶ崎ふるさとの家で開かれたスタート集会以来、狭山事件の再審を訴える関西キャラバンをおこなってきました。
兵庫、大阪、奈良の駅頭をまわり、それぞれの地元の仲間と合流しながらチラシを撒いたり、署名を集めたり、各地のイベントでアピールや紙芝居をさせてもらったり、映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』の小規模上映会を開いたりしています。
奈良県宇陀市では、地元の市民団体が「私たちは狭山を知らない。だから知りたい」と上映会を開いてくださいました。茨木市の地域ユニオンの事務所で開かれた上映会では、「狭山は石川さんの仮釈放で終わったと思っていた。でも、終わっていなかったんだ」と言ってくださった方もおいでになりました。
関西キャラバンの試みを通して、私たちは、まだまだ石川さんの今を伝えきれていないこと、そして、まだまだ伝えられることを学びました(キャラバンの詳細については市民のつどいホームページをご参照ください)。

2月24日に集会

2月24日、大阪天満橋のエルおおさかで第4回狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西が開かれます。今回のつどいでは、「つながりをちからに」をテーマに、石川一雄さん夫妻、袴田ひで子さんと並んで、昨年前代未聞の最高裁での再審取り消し決定を受けた大崎事件弁護団事務局長の鴨志田裕美さん、元全国同和教育推進協議会副会長でハンセン病家族訴訟原告団長の林力さんをお迎えします。
狭山事件では差別と冤罪は切り離すことができません。部落差別によるえん罪が狭山差別裁判であり、部落差別によるえん罪をただすことを通して石川一雄さんの再審・無罪をかちとることが狭山再審のたたかいです。第4回市民のつどいの場で、司法の壁に立ち向かうえん罪被害者の団結の輪、差別と闘うもの同士の連帯の輪を心から支持し、広げていく中から、狭山事件の再審実現の展望をつかみとっていければと思っています。
狭山事件は終わってはいません。石川一雄さんは今日も東京高裁の前に立って、無実を叫び、再審の門をたたき続けています。56年間におよぶ狭山差別裁判に終止符を打つべく、皆様の第4回市民のつどいへのご参加・ご協力を心よりお願いいたします。

第4回・狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西 開催要項 とき:2月24日(月休) 
午後0時半 開場
午後1時 開会
ところ:エルおおさか・エルシアター(地下鉄谷町線「天満橋」駅 西300メートル)
主催:狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西実行委員会



読者の声
「ぼくが生きる道」
あの日、あの時の糟谷君
兵庫県 石束 隆

1月13日、大阪で小さな集会が開かれた。『権力犯罪を許さない、忘れない、糟谷孝幸君追悼50周年集会』という集会には東は千葉・三里塚から、南は沖縄・石垣島までおよそ140人が集まった。
糟谷孝幸君といっても、知らない人が多いだろう。70年安保闘争の渦中、69年11月13日、大阪扇町公園で開かれた佐藤訪米阻止闘争。その最中、機動隊の暴力によって虐殺された岡山大学の学生、当時21歳だった。糟谷君は日記に、こう書き記して参加したという。「…ぜひ、11・13に佐藤訪米阻止に向けての起爆剤が必要なのだ。犠牲になれというのか。犠牲ではない。それが、僕が人間として生きることが可能な唯一の道なのだ。…」。
あの日あの時の扇町公園。総評系官公労の労働組合、民主団体、およそ2万人の労働者、市民による集会に私も一反戦派労働者として参加していた。 集会の終わりごろワッという声が上がった。公園南側車道はデモ隊の投げた火炎瓶によって一面に燃え上がっていた。炎の向こうに、機動隊の黒い壁ができていた。その黒い壁に向かって50人ほどの学生の一団が、炎の河を渡って突入していった。その中に糟谷君がいた。糟谷君は機動隊の警棒で乱打され、逮捕された警察署で「黙秘します」と一言だけ言って意識を失い、そのまま亡くなったという。
その後、糟谷君の死因について、権力犯罪を立証するべく裁判が続けられたが敗訴に終わった。それから50年、糟谷君の墓参りは岡山大や大阪のグループなどによって毎年途切れることなく続けられ、50回忌をむかえた。
今回の集会は、糟谷君を記憶に残すためのものだ。
1960年代の最後の数年間は、日本だけでなく世界が燃え上がっていた。67年1月、ベトナムの米軍は50万人に。6月、第3次中東戦争。7月、デトロイトで黒人暴動。10月、佐藤首相訪米阻止羽田闘争で山ア博昭君が機動隊によって殺される。同じ時、「二つ、三つのベトナムを」と檄を飛ばし、ボリビア山中のゲリラ闘争の最中、チェ・ゲバラが倒れた。11月、米空母イントレピッドから脱走した反戦米兵4人が国外へ。68年4月米軍王子野戦病院建設反対闘争。5月、パリの学生たちのカルチェラタン闘争。
69年1月、東大安田講堂の攻防。その後、各大学の封鎖解除が続く。4月28日沖縄デー。銀座、有楽町占拠、国電ストップ。6月、新宿西口フォーク・ゲリラ7千人集会。11月13日の扇町闘争、16日、17日、佐藤訪米阻止闘争…。
思えば60年安保闘争、樺美智子さんが亡くなった時、私は高校を卒業して働き始めたころだった。樺さんの死を聞いて、「樺さんの仇は俺が討つぞ」という大それた想いを持った。その時そう思ったのは、私一人だけではなく全国に何十人何百人もいたと思う。
あれから60余年、山ア博昭君よ、糟谷孝幸君よ。たたかいは続き、70代半ばを過ぎた私の旅も、まだ終わっていない。

読者の声
ギグ・エコノミー
巧妙化する労働者の搾取形態
東京都 鈴木一郎

最近、ウーバーの労働者が一方的に給与の引き下げを通知され、それにウーバーの労働組合が抗議したニュースが流れた。巷では「ギグ・エコノミー」が「空いた暇な時間に自由に稼ぐことができる」とても合理的なウィンウィンな仕組みと、もてはやされている。通常の会社に雇用される形は取らず、個人がアマゾン、ウーバーなどの企業と「対等」な事業者として契約を結んで仕事を請け負う、という謳い文句である。
しかし、それは実際には職を求める労働者に対して、正規、非正規の労働者としては雇用しないが、あなたが個人事業者として契約を結べば仕事を提供し、対価を支払う、というものである。かくして、企業は通常であれば必要な労働者にたいするあらゆる責任を回避し、にもかかわらず過酷なペナルティーは一方的に押し付けるという、とんでもない形態である。
ごく一部の金儲けに長けたもの、うまい立場に立った者が不必要な非生産的な業界で「高い生産性を持つ」としてろくに働きもしないのに高い報酬を得る。その一方で、社会を本当に支えている運送、建設、介護、清掃、保育、ガードマン等々の仕事は「AIで消滅する、機械に置き換えられる単純作業、誰もが嫌がるが誰にも感動を与えない誰にもできる下等な仕事」(実際には正反対で人間にしかできないからいつまでも機械に置き換えることはできない)として不当に低賃金で過酷な労働環境を強要されている。
その流れの一環として外国人労働者を技能実習生制度等として無権利で低賃金の労働を強要している。それと並行して正規雇用を最小化する方向としてギグ・エコノミーが進められつつある。心ない多くのマスコミ等は、ギグ・エコノミーをさもAIの成果、ITの成果であるように喧伝している。確かにアマゾン、グーグルには労働者をこき使う問題点はあるものの、以前は容易に入手できなかった貴重な資料を入手できるようになったなどそれなりにメリットもある。しかしAIの成果を謳う大半のIT企業は、ウーバーやウィワークのように労働者をいかに低賃金・無権利に追いやるかの工夫を本質とするハレンチで詐欺的なものでしかない。
最近、封切りされたケン・ローチ監督のイギリス映画『家族を想うとき』がその苛酷な実情を描いている。町山智浩氏のラジオでの紹介はその背景をよく説明している。町山氏の説明を参照されるとともに、映画『家族を想うとき』を是非見てもらいたい。
最近はアマゾンの配送でも通常の宅配業者ではなく、私服のおじさん、おばさんが配っているのをよく見かけるようになってきた。今、日本においても徐々に進みつつあるギグ・エコノミーがいかに卑劣なものであるかを共有することを訴える。

4面

直撃インタビュー(第40弾)
復帰運動、沖縄と憲法、辺野古
沖縄・本土を見つめる 富樫守さんに聞く(下)

――復帰運動では「憲法のもとに」。沖縄と憲法とは

本土復帰運動を説得するために、「日本国憲法の保護下に生活できるのだ」と宣伝された。私は復帰運動の最終場面に帰ってきたものだから、それは後から聞いた。占領下の沖縄の人は、憲法を真剣に読んだという。私は、そのころあまり読んだことがなく、後から読むと「こんな大切なものだったのか」目が覚めたような思いだった。沖縄にずっといた人たちと、私のように本土で育ち、憲法の恩恵を知らずにどっぷり漬かっていた者とは、かなり認識やのん気さが違ったと思うよ。
沖縄の歴史を知り、辺野古をたたかうなか、いっそう憲法の大切さがわかるようになってきた。そうすると「沖縄には憲法が適用されているのか」という疑問、「憲法を超える問題が沖縄にはいっぱいあるじゃないか」と気がつく。沖縄の基地のことは、日米合同委員会の防衛相・外相による「2+2」で決められる場合が多い。憲法よりもそっちが上じゃないか。新聞を読んでも、「2+2が力を持っているんだなー」と、ますます感じる。
今回の参院選では、沖縄は憲法研究者の高良鉄美さんを国会に送った。名護市議会は早速高良さんを講師に学習し、「憲法95条違反」(注)として政府に意見書を送ることになった(12月に送付)。

憲法を、可視化したい

辺野古、高江に来て「国家権力や、民主主義が見えた」という人たちがいる。権力や民主主義が見える、わかるのは、なにも高江や辺野古の場だけではない。たたかう現場に身をおくと、やっぱり憲法にせよ人権にせよ物事が見え、問題を感じられるよ。
高江のとき、全国から機動隊を送り込んできた。「県の公安委員会が各県の公安委員会に要請したのか」と聞くと、政府は「派遣は各都府県公安委員会の判断の下、適切におこなわれた」と答えた。うそである。警察庁から各県警本部あてに「沖縄県警察への特別派遣について(通知)」という文書が出されていた。政府のうそが堂々とまかり通り、県の公安委員会はお飾りにすぎないようになっている。権力分立の原理などおこなわれていないとわかってきた。沖縄は琉銀の会長が委員長だったから、抗議のために預金引き出し運動もやった。任命したのは知事だけど、県の公安委員会は形式だけだよ。そういうことが見えてくる。
(注)憲法95条 一つの地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会はこれを制定することができない。

――「最低でも県外」とは、何だったでしょうか

鳩山・元首相が「最低でも県外」と言い、それがまた振り出しに戻った。彼は沖縄県庁にきて謝罪したが、そのときの県民の怒りは大きかった。なぜ、そうなったか。彼は「いかにアメリカと結んだ官僚や政治家がうそを言っていたか」を語り、そういう報道があった。辺野古の現場にも何回も謝りに来ている。はじめはみんな怒ったけど、3回目くらいだったか現場は(謝罪を)受け入れた。
それは現場に根差した発想、判断ですよ。現場の攻防には苦しさもある。現場だけでは止められない。だから政治の場面で動いてもらいたい思いがある。本気でたたかっている側は寛容性を持つ、ということでしょう。たたかい方に優劣はなく、できる範囲でたたかう人も仲間に入れてもらえる、そういう寛容性だね。

沖縄のことは沖縄が決める

沖縄というか、琉球王国ではなく琉球国だが、併合された後の流れを認める視点と、いや認められないという視点がある。どちらにしても翁長さんの「沖縄のことは沖縄が決める」「自己決定権」という表現が、共通の認識がある。その「自己決定権」の延長線の選択の一つに、私はユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン、それぞれの日本の地域が自立性を持つという方向性を考える。経済、政治、文化においても自立性を持つ。しかし、ユナイテッド。自主県、自治州、そうなっていきたいね。「独立」という権利はあるが、辺野古のたたかいからは本土との連帯を強く感じている。「行使」は、まだまだ早い。

――沖縄の民意と、安倍政権の「民主主義」は…

(沖縄の)民意、民主主義を考えるとき、翁長さんは「品位ある民主主義を」と訴えた。多数決ということがあるんだけど、少数意見を大事にするということだと思う。その当たり前のことがおこなわれていない。沖縄の人口は全国比1%ほど。だから、知事はそう訴えた。多数決で「沖縄だけの特別の事情」と思われては、永久に通らない。「欠陥のある民主主義」という言葉も聞く。かつて「民主主義の欠陥」を力で埋めようというゲバルトも用いられたが、その展望を得ることはできなかったと思う。

沖縄県読谷村にある不戦宣言の碑

回り道かもしれないが

権力が見えてくるのは、いまなら香港を見ればわかるような気がする。力では国の力が圧倒的に強い。しかも、国の権力側は挑発する。力と力の関係に持ち込めば、しめたと思っている。だから私たちは、「法」も使ってたたかう。辺野古埋め立ての土砂は、安和の琉球セメント桟橋からダンプで運び込まれてくる。ここで阻止行動をするのだけど、いまは「1回の青信号に1台しか入れない」という、「合法的」阻止活動で搬入を遅らせている。遅らせている間に、状況の変化を待つ。
辺野古ゲート前も、抵抗はするが機動隊員1人ひとりと憎しみをぶっつけ合っても仕方がない。荒っぽく排除されれば、怒鳴り合いもするが、スタンスはそういうところ。ゲート前の敵は防衛局だ。そこから、大勢に伝わることを意識して抗議をしている。かつてのさまざまな闘争、学生運動からも学んだ。 
内容と力ある大衆運動を目指しているけど、埋め立てられて行く光景、状況を見ていると気持ちは穏やかではない。そこを堪え、「変化を待ち、求める」。それをくみとってほしい。

――辺野古のいま、これからをどう考えられますか

辺野古の現場のたたかいは、大勢のときも少ないときもあるが、毎日続いている。これが大事。それがあるから、全国から来てもらうことができる。来られなくても「沖縄だけでなく、本土の問題だ」と、それぞれの地域で声を上げ「地域、国、国会」と働きかけてほしい。辺野古は、これからだ。軟弱地盤、活断層、サンゴの群生などを含め、勝負どころはいっぱい。
たたかいには高齢者が多いと言われるけど、それはむしろ心強い。利害や損得を超えて立ち上がっているからね。戦争体験者もおり、多くはその戦争体験を聞いて育ってきた世代だ。政治のごまかしやメディアのキャンペーンに、うそを見抜く力も持っている。簡単に屈しない。
秋田の人たちがイージスアショアを拒否し、参院選で野党候補を当選させた。自分のところに問題が起これば、みんな立ち上がるよ。マスコミがしっかりしてほしいけど、ミニコミもあるしSNSもある。捨てたもんじゃない。それらを駆使し、状況を見れば辺野古を理解できる。そういう人々、地域がきっと多くなっていく。

屈しない、揺るがない

自己中心にならずに、さまざま工夫し手をとり合えば、翁長さんが言った「誇りある豊かさ」はできないことじゃない。「いまだけ、金だけ、自分だけ」という人たちもいるが、人間はむしろ分かち合ったり、助け合ったりして生きてきた歴史がある。辺野古に座り込む人たちは、そんな気持ちの人たち。金銭で来ている人は1人もいないね。屈しない、負けないという気持ちは揺るがない。
辺野古は人間の歴史、生き方、権力とはどういうものか、いろんな問題をもう一度われわれに教えてくれる学びの場でもあるよ。ぜひ、来てほしいですね。(おわり)

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〈連載〉まっちゃん、これでええかな(3)
脳性マヒ者へのいじめ
脳性まひ者の生活と健康を考える会
元関西青い芝の会連合会会長 古井正代さん

藤田君の自殺

そのまっちゃん(松本孝信さん)が次に腹を立てたのが、さっき上映した「二つの地平線」の映画に出て来た和歌山の藤田君という脳性マヒ者が自殺したという話。それは何で腹立てたかというと、施設の中でね、脳性マヒの連中は結構いじめられるのよ。要するにちょっとでも健全者に近い方が、ランクが上に上がる。手のかからない方が施設ではありがたい。
脳性マヒは言語障害もあり、顔もゆがみいの、どこをとっても健全者に近いとこが無いわけ。脳性マヒいうのは、脳の組織が死んでんねん。脳性マヒになった時点で、脳に酸素がいかなかったとか。外国は知らんけど、日本の厚生省が決めた枠組みでは、2歳までに脳が死ぬと脳性マヒの枠組みに入るらしい。「青い芝」も、もともと出来たのは戦時中にね、東京に光明養護学校が出来て、その養護学校の中で脳性マヒ者だけが就職もでけへんねん、特に戦時中やからお国のためにならん役立たずのレッテルを貼られて、そこで脳性マヒ者が自分たちの会をつくった。それが青い芝の元やった。
施設の中では障害者はいじめられる。自殺した藤田君は、言葉はほとんど分かりにくくて、文字盤を使って、歩くのも杖使ってやっと進めるような状態やから、授産施設では特にいじめられるわね。どことっても職業訓練にならへんもん。健全者主体の考え方の中ではね。
それでいじめられて、挙句の果てに施設の中で文字盤隠されたり、松葉杖を隠されたり、無視されたり、隔離された中での障害者どうしの差別は想像以上に酷いんよ、私なんか養護学校時代にあだ名が付けられとって、手を上げてくにゃくにゃしていたので、私の行くとこ行くとこみんなで手をたたいて「タコ踊りタコ踊り」と囃し立てられていてん。他の障害者は、役立たずの脳性マヒを差別するんや。「お前ら私らの足を引っ張るな」そんな状態で彼は絶望して自殺した。それでまっちゃん腹立ったんや。

機動隊による排除

機動隊が出動

今皆で歌った「およげたいやきくん」。あれがまっちゃんが唯一歌える歌や。それを歌いながら、福島から応援で駆け付けてくれた白石さんや橋本さんと一緒に、「施設のあり方を問うぞ! 施設なんかぶっつぶせ!」、なんか言うて座り込みに行って。その時に何と日本で初めて障害者排除に警察が出てきた。それも機動隊や。ジュラルミンの盾持ってズラ〜っと並びよってん。何でかいうと、機動隊は中にいるのが、寝たきり脳性マヒ者がほとんどと思ってなかった。知らなかった。要請かかったから、その当時学生運動も下火やったけどまだしてたでしょ。ジュラルミンの盾をズラ〜っと並べて、どんどんどんどん前へ進んできて。おもろかったで〜その光景は!
その光景を見てまっちゃん、もう生き生きして、立てこもっとった施設の一室の入口に、そのあたりにあった机とかイスとか積み重ねて、抵抗やっとって。ものすごいおもろかったな、あれは。
いじめとかそういう優生思想に関しては、まっちゃん生き生きとして、飛びかかっていく人やったんや。(つづく)

連載 命をみつめて見えてきたもの E
ガンの自然退縮
有野 まるこ

ガンの自然退縮とは、組織学的に診断の確定したガンが現代西洋医学で有効とされる治療がないにもかかわらず縮小したり消失したりする現象。安保理論はこれを説明するひとつの学説だが、実際にも体験者はいる。当事者の体験談、医師が著した臨床例、そうした事実から有用な方法や知見を導きだそうとするものなど、多くの本や記事が書かれている。こうしたものを読み、当事者や医師から直接話を聞いて感じたのは、《ガンの自然退縮》はとても魅力的で示唆に富む現象だということ。でも実践的には容易ではなく、副作用もなく万人に有効な治療方法はいまだない。
ガンの自然退縮に触れるのは「三大療法は絶対ダメ」とか「こうすればガンは治る」ということを主張するためではない。ガンの自然退縮という希望に満ちた事実との向き合い方の中に、病・命・現代社会・自然・地球・宇宙をどうとらえ関わっていくべきなのかという人類史的テーマと触れあう部分があると感じるからだ。
新自由主義的発展の末にあらわとなった気候変動、生態系の破壊、富の偏在と貧困、核戦争、日本も含む超大国の宇宙戦争戦略など、待ったなしの危機が深まっている。「共産主義革命」をめざした私たちの思想と実践が根底から問われていると痛感する中で気づきを与えてくれた本の中から、『がんが自然に治る生き方』(2014年・日本語訳はプレジデント社)を紹介する。
著者はアメリカの腫瘍内科学領域の研究者であるケリー・ターナー博士。ハーバード大学時代に代替医療(中国医学・インド医学など近代西洋医学に替わるさまざまな医療・療法)に関心をもって学ぶ。ガンの小児病棟でのボランティアを通して、ガン患者のカウンセリングを学ぼうとカリフォルニア大学大学院にすすむ。そこでアンドルー・ワイル博士(西洋医学と代替医療を統合して治療にあたる医療=統合医療の第一人者)の解く「自発的治癒」という現象に興味をもち、「医学的には不可能だとみられた状態からガンを克服した人々はいったい何をしていたのか。その探求に生涯をささげる決意」をしていく。(つづく)

第11期沖縄意見広告運動始まる
完成のメドない辺野古新基地

1月17日、第11期沖縄意見広告運動スタート集会が大阪市内で開催され、150人が参加した(写真)。全国代表世話人のひとりの武建一さん(連帯労組関生支部委員長)が不当逮捕され2度目の冬を迎えた。弾圧をのり越え沖縄との思いを一つにする意見広告運動が今年も始まった。
集会は全国世話人で辺野古へカヌーを贈る会代表の山口千春さんが、30隻近くのカヌーを贈り海上行動を支えてきたと力強いあいさつ。ヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さんは、「座り込みは2000日をこえ、最近ではゲート前と本部の2カ所で連日行動している。きびしい局面ではあるが工事を遅らせてきた。あと9年はかかる。工事費用も当初の3500億円から9300億円にふくれ上がった。完成の見込みは立っていない。何としても建設を阻止する」と決意をのべた。
今年も、「意見広告全国キャラバン」をおこなう小林勝彦さん(全港湾大阪支部書記長)が「全国各地の運動とつながりを強めていきたい」とアピール。会場カンパが6万円以上集まった。
開会中の国会からかけつけた伊波洋一参議院議員は、辺野古新基地建設の工事状況・工法について最新の状況を報告。「工事は遅れているうえに、地盤沈下が場所により異なるため、対策が困難。沈下しないはずの護岸が1・3メートルも沈下することが判明した。滑走路は不等沈下が続くため、完成後もその都度補修が必要となる。日々ジャッキアップで修復するというが、その工法は『空港で実施した事例はない』というもの。『完成のメドが立っていない』とは言えないため、苦し紛れの言い訳をしてしている」と話した。
6月までに昨年を上回る2万件以上の賛同を集めることを参加者全員で確認して、この日のスタート集会を終えた。
(次号で安次富さんと伊波さんの発言要旨を掲載します)

(冬期カンパのお願い)

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6面

三・一独立運動100周年が日本人に問いかけるもの(上)
米村泰輔

▼ 旧「満洲」=間島等を訪問して

 2019年10月15日から23日まで「金学鉄を辿る旅−朝鮮独立運動100周年記念・尹東柱・金史良をめぐって」という企画で旧「満洲」南部の中国吉林省延辺(エンペン)の朝鮮族自治区と北京・盧溝橋、天安門、河北省石家荘市を訪ねてきた。今回の企画のメインの一つである金学鉄(キム・ハクチョル1916年〜2001年)は10代で義烈団(ウィヨルッタン)という赤色テロルを含む武装闘争で朝鮮の独立を目指した組織に加入し、その後中国共産党に入党するが毛沢東全盛のときに真っ向から毛沢東を批判して10年も投獄された気骨の人である。また毛沢東を批判した『20世紀の神話』も上梓している。詳細は『抗路』第9号(抗路舎2019年9月)に掲載されているので参照されたい。金学鉄については別途機会があれば報告することにして、今回は三・一独立運動を中心にして報告したい。

▼ 三・一独立運動について

▽新たな発見

 2019年は三・一独立運動から100年になる。三・一独立運動に関するこれまでのわれわれの認識は1919年2月8日、東京で朝鮮人留学生が集まって独立宣言を発表し、同年3月1日、ソウルで独立宣言が行われ、数千人が独立万歳を叫び、それをきっかけに燎原(りょうげん)の火のように朝鮮全土に広がったというものではないだろうか。 しかし、最近の研究によれば東京での独立宣言に先だって旧「満洲」南部の吉林省で同年2月1日、独立運動家39人が連署した大韓独立宣言書が発表され、これがその後の運動の原点になったことがわかってきた。韓国・中央日報(19年2月1日付))によれば同宣言書を作成したのは著名な趙素昴(チョ・ソアン)で、「満洲と中国本土、ロシア、沿海州(筆者注:ウラジオストック周辺)、米国の独立運動家39人の名義」で発表された。この宣言書は今、ソウルの独立記念館に保存されている。同宣言書は大韓民国臨時政府建国綱領や光復軍布告文などの基礎にもなっている。また趙素昴は東京に行き留学生の2・8独立宣言の支援も行った。つまり吉林省で発表された独立宣言書は三・一独立運動全体の「導火線」の役割を果たしたのである。 さらに注目すべきは署名した39人の独立運動家たちである。その中にはアメリカに亡命していた李承晩(リ・スンマン)(大韓民国初代大統領)、後に高麗共産党を創設する李東輝(リ・ドンフィ)、青山里(チョサンリ)戦闘を指揮して日本軍に勝利した金佐鎮(キム・ジャジン)、『朝鮮独立運動の血史』を書いた朴殷植(パク・ウンシク)、日本で獄死させられた詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)の伯父で吉林省の明東(ミョンドン)学校の創設者の一人である金躍淵(キム・ヤギョン)の名前もある。後述するが明東村および明東学校は間島(カンド)の抗日運動の拠点の一つでもあった。

▽吉林省で発表された宣言書の内容

同宣言書は「日帝による合併が無効であることを堂々と宣言」(中央日報)し、「肉弾血戦で独立を完遂することを決意した」という。さらに「立ち上がれ、独立軍!力を合わせろ、独立軍!」という言葉もみえる。これは「武装独立運動を本格化するという宣言」であり、朝鮮民衆に今こそ「立ちあがろうという決起文」なのである。

▽三・一独立運動を準備したもの

 1910年、「韓国併合」により朝鮮は日本によって独立を奪われた。その翌々年の1912年から土地調査事業が開始され1918(大正7)年に完了した。同事業によって朝鮮の国土の多くが日本に奪われた。土地を失ったぼう大な朝鮮人は流浪の民となるほかなかった。そのため「間島移住者は大正7年度は前年度に比し七倍強に達した」(『現代史資料(25)三・一運動(一)』みすず書房)という。
 こういうなか、独立運動をどうやっておこなうのかが独立運動家の間でさまざまに議論された。その中心に位置したのは上海である。アメリカからは李承晩、ロシアからはソ連の影響を受けた李東輝、北京で活動していた申采浩(シン・チェホ)等々が立場の違いを超えて集まり、上記の独立宣言書を発表するに至るのである。最近の研究では上海の独立運動の中心にいたのは呂運亨(ヨ・ウニョン)だったといわれている。しかし残念ながら呂運亨は1947年、白色テロルに斃れた。

▽個々分散した運動ではなかった三・一独立運動

 三・一独立運動はその後、次第に行動を強め激化していく。独立運動の「導火線」となった宣言書に署名した独立運動家たちは1919年4月、上海に大韓民国臨時政府を設立し李承晩が首班となり、内務総長になった安昌浩(アン・チャンホ)が連通制(朝鮮内地との秘密連絡網)の組織化や機関紙『独立新聞』の発行を行ったといわれる。また甲午農民戦争(1894年)の中心を担った東学党の後身である天道教徒たちも合流してきた。
官憲側の資料という制約はあるが前掲『現代史資料(25)』をみると民衆の側の行動として、4000名の群衆が日本憲兵を打ち破ったり(同379〜380頁)、線路に石を置いたり(同238頁、384頁)、橋への放火(同381頁)、日本の手先となった朝鮮人面長宅の放火(同362頁、370頁)、日本人宅への放火(同383頁)、日本領事館への放火(同222頁)、斎藤実総督への爆弾の投擲(同278頁)なども行われた。また激化する独立運動によって日本警察の駐在所がいくつも撤収(377頁)に追い込まれたことも記録されている。もちろん、これ以外にぼう大な民衆の行動が同書には記録されている。
前述した明東学校については前掲書に以下のような記述がある。「明東学校ニテ鮮人(ママ)教師主謀トナリ決死隊員募集銃器蒐集中ニシテ十日頃迄ニハ一〇〇名ニ達シ銃器一二〇挺ヲ隠匿シアリト、然シテ支那(ママ)官憲ハ此ノ内情ヲ黙許シアルヤの説アリ」(同174頁)という状況も生まれるに至っている。また安重根たちが射撃練習をしたのが明東村付近だといわれており、李東輝が朝鮮国内から脱出しておちついた先が明東村だった(姜徳相『朝鮮独立運動の群像』36頁)という。さらに間島という地名も前掲書に頻出している。

▼ 間島について

 ここで間島について説明しておきたい。間島とは文字通り「間の島=中州」のことである。しかし、実際の中州を指すのではない。間島とは狭い意味で現在の中国吉林省の南部で朝鮮民主主義人民共和国との国境地帯を指す。清朝を興した満洲族は間島を「清の太祖発祥の地」として満洲族以外の他民族が鴨緑江(アムノクカン)や豆満江(トマンガン)を越えて入ることを「越江罪」として死刑をもって禁じた地域である。
 しかし、間島は肥沃な土地であるため古くから朝鮮人は禁を犯して清の領地(中国領)に行き密かに農業を営んでいた。中国との国境を形成する鴨緑江や豆満江を越えることは死を意味するため「中州=間島に行く」と称して清の領地(中国領)に入っていたのである。
 その後「越江罪」は廃止されたが、日本帝国主義に土地を奪われたぼう大な朝鮮人が中国領である間島に移住してきた。当然、間島に移住した朝鮮人のなかからさまざまな抗日運動が起こってきた。しかし、間島は中国領であるため日帝はここには手を出すことができなかった。そのため間島は次第に抗日運動の拠点となっていったのである。

▼ 発展していった三・一独立運動

 日帝に追われた朝鮮人たちは遠くシベリアやウラジオストック等にもぼう大に移住していった。朝鮮国内を日帝が「制圧」しても三・一独立運動で火がついた民族解放運動は間島、さらにはシベリア、ウラジオストック等での抗日武装闘争、共産主義と結びついた抗日パルチザン闘争として激しく燃え広がっていくのである。
それだけでない。たとえば金学鉄は朝鮮義勇軍として中国の八路軍と一体となって河北省の石家荘で日帝の朝鮮・中国侵略と闘っていくのである。

▼ 植民地支配の軍事基地としての日本領事館

 日帝は間島を支配するため1907年、吉林省の龍井(ヨンジョン)市に「統監府間島臨時派出所」を設置し警察網やスパイ網を構築していった。さらに1909年、同派出所を日本領事館に格上げした。日本領事館跡は今、抗日記念館になっている。同領事館の地下には監獄や拷問をおこなう取り調べ室がある。さらに警察本部や憲兵隊本部、法廷まで同じ敷地内にあり高い塀で囲われている。一種の軍事基地である。警察や憲兵隊は次々と朝鮮民衆を捕らえここで拷問していたため、日本領事館は朝鮮人の憎悪の的となっていった。

▼ 最大の激突

 ソウル・パゴダ公園での三・一独立宣言から12日後の3月13日、中華民国政府の許可の下、龍井市の日本領事館にむけて3万人のデモが行われた。龍井市の人口が数千人にすぎないことを考えるといかにぼう大な人数かがわかる。前掲『現代史資料(25)』をみてもそれ以前のデモの規模は最大でも1万人である。実にその3倍の規模のデモがおこなわれたのである。
 3万人が押し寄せたらどうなるのか、恐怖した日本領事館は中華民国政府に激しい圧力をかけ、中華民国の警官がデモ隊に発砲し14人が死亡した。 (つづく)