未来・第106号


            未来第106号目次(2012年6月5日発行)

 1面  全国から福井へ 大飯再稼働を阻止しよう
     3日 福井市内で緊急闘争

     市東さん農地裁判
     空港用地部長を追及 違法・無法の実態暴く

 2面  沖縄に基地はいらない
     「復帰40年」を問い直す 5・13京都

     記念式典に抗議
     都内で集会とデモ 5・15東京

     投稿 沖縄の現状 見てほしい

 3面  新たな新自由主義的同盟
     「日米共同声明」を批判する(上) 落合 薫

     新刊紹介 『自衛隊員の人権は、いま』

 4面  シリーズ 橋下改革を斬る (第1弾)
     「住民に不利益、負担」おしつけ 大阪市の市政改革プラン

     教育・職員基本条例を強行可決

     さよなら原発!佐賀集会に2500人

     大飯・伊方の再稼働阻止へ 大阪で終日集会とデモ

 5面  被ばく地・フクシマで出会った人びと(6)
     福島、関西、力を合わせ「3・11」をこえていこう 古河潤一

     投稿 放射能汚染ガレキの広域処理
     各地で反対の声 尼崎市で対話集会

     原発収束作業の現場から
     ある運動家の報告  ―第6回―

 6面  直撃インタビュー (第15弾)
     原発を止めるために行動するとき
     関電包囲行動を1年間つづけてきた 韓基大さん

       

全国から福井へ 大飯再稼働を阻止しよう
3日 福井市内で緊急闘争

「再稼働絶対反対!」
緊急行動で福井市中心部をデモ行進(3日)

関電本店前に「再稼働やめろ」の声がひびく(1日)

5月30日、野田首相は「関係自治体からの一定の理解は得られつつある。福井県とおおい町の判断が得られれば、私の責任で最終判断したい」と述べて、6月初旬にも関西電力大飯原発3・4号機(福井県おおい町)の再稼働を決定するつもりであることを明らかにした。
「関係自治体からの理解」とは同日、関西広域連合が発表した「原発再稼働に関する声明」のことである。声明は「大飯原発の再稼働については、政府の暫定的な安全判断であることを前提に、限定的なものとして適切に判断されるよう強く求める」として、再稼働の受け入れを表明した。これは関西一円で生活する全住民の生命と安全を危険にさらす重大な背信行為である。とくにあくどい役割を果たしたのが、「期間限定の再稼働」を提案するなどして再稼働容認の先鞭をつけた大阪市長・橋下である。
政府が大飯再稼働を急ぐのは、地元の福井県、おおい町の中から「再稼働反対」の声が強まりつつあるからだ。5月26日、おおい町でおこなわれた〈もうひとつの「住民説明会」〉には、150人が参加。地元でも再稼働に危機感が高まっていることを示した。「説明会」では元京大原子炉実験所講師の小林圭二さんが、前日の関西電力に対する申し入れのなかで、大飯原発の格納容器には事故時に破裂を防ぐための「ベント」が付いていないことが明らかになったと報告した。関電はこの重大な事実を伏せていたのである。また水素爆発を防ぐ水素再結合器も設置されていない。政府の安全基準はまったくのデタラメである。
1日、首相官邸と関西電力本店(大阪市北区)にたいして大規模な抗議行動がおこなわれた。首相官邸前には2700人、関電本店前には500人が集まり「再稼働反対」の声をあげた。
3日には、福井市内で緊急闘争がおこなわれ、540人が参加。主催は「ふくいでつながろう」実行委員会。実行委を代表して、サヨナラ原発福井ネットワークの佐分利豊さんは「まだ県議会も県の安全専門委員会も結論を出していない。ここで粘って阻止する」と決意を明らかにした。 集会後、参加者は福井市の中心部をデモ行進し、市民に再稼働阻止をアピールした。
来たる17日、福井市内で大飯原発再稼働に反対する大集会が呼びかけられている。(集会要項参照)全国から福井に結集しよう。あらゆる場所から大飯再稼働反対の行動を直ちに開始しよう。民衆の力で再稼働を阻止しよう!

6月17日 福井で全国集会
とき:6月17日(日) 正午(予定)
ところ:福井市中央公園(福井県庁西側、JR福井駅から歩5分)



市東さん農地裁判
空港用地部長を追及 違法・無法の実態暴く

公判前、千葉市中心街を反対同盟先頭にデモ行進(5月28日)

5月28日、千葉地方裁判所で三里塚芝山連合空反対同盟の市東孝雄さんの農地をめぐる裁判がひらかれ、証人尋問がおこなわれた。
この裁判は、市東さんが耕作している成田市天神峰南台41番地の農地を、地主から秘密裏に買収した成田空港会社が、〈地主と借主との賃貸借契約〉解約をたてに、市東さんに農地の明け渡し求めてきたものである。
これに対して、反対同盟と市東さんは、「空港会社による賃貸借契約の解約を許可した千葉県知事の不当な決定」は無効であると、行政訴訟をおこした。
このふたつの裁判が併合されて、審理は進められてきた。
この日の証人は、成田空港会社用地部長の戸井健司である。戸井は83年6月1日から88年5月31日まで、新東京国際空港公団(現・成田空港会社)の用地部管理課収用法務係長として、南台41番地にある市東さんの農地取り上げの全過程に関わっていた。
裁判の過程で、空港会社が市東さんの契約畑の位置特定を誤認(「南台41―9」問題)していることが明らかになった。また南台41―8は空港敷地外にまたがっており、その売買には県知事の許可が必要であるにもかかわらず、空港会社(当時の空港公団)が不法(農地法第5条違反)に買収していたことも暴き出された。
裁判ではこうした数々の問題点を「知らぬ存ぜぬ」で押し通そうとする戸井を弁護団が鋭く追及。ついに戸井は、「市東さんの自宅も空港会社のものになると思っている」と言い、〈強権的な手段を使うかどうかは市東さんの対応次第〉という趣旨の証言をおこなった。手続きの適法性などおかまいなく、国家暴力を背景にして、市東さんに屈服を迫る空港会社の姿勢が明るみに出された。
次回公判は6月25日。証人は、空港会社に手を貸した成田市農業委員会の山崎事務局長だ。裁判所を大衆的に包囲し、空港会社を追いつめよう。

2面

沖縄に基地はいらない
「復帰40年」を問い直す 5・13京都

普天間基地撤去と辺野古新基地反対を訴え(5月13日 京都市内)

5月13日、京都市内で「沖縄の『日本復帰』40年・もう基地はいらない 普天間基地の撤去を!辺野古新基地建設反対! 沖縄に連帯する京都のつどい」がおこなわれ、好天のもと700人が参加した。主催は、京都沖縄連帯集会実行委員会。
オープニングは琉球舞踊や三線弾き語り。実行委員会共同代表・小笠原伸児さんの開会あいさつに続き、呼びかけ人の京都沖縄県人会会長・大湾宗則さんがあいさつ。

変わらない沖縄の基地
大湾さんは、復帰当時をふりかえり「沖縄の人たちは祖国復帰を願って闘ってきたのに、71年11月沖縄返還協定が国会で強行採決される時、返還協定粉砕を掲げて闘う事態に。なぜなら、極東の範囲内だった日米安保が、72年にアジア・太平洋に拡大された日米安保となり、沖縄の核抜き本土並み返還が、密約でごまかされ、毒ガスもあったという状態だった」と話し、「それから40年、沖縄の基地の現状は変わっていない。今、普天間の基地を撤去せよ、辺野古に基地は作らせないという沖縄県民の声が90%を超えている。しかし、全国の世論調査では、沖縄に基地があるのは仕方がないという回答が60%。今日の集会は、『沖縄返還』40周年にあたって、もっと大きな輪を作っていきたいと京都沖縄県人会が呼びかけ、実行委員会ができた。名護の市長選挙が2010年1月にあり、最も保守的だと言われた名護市が稲嶺市長を誕生させた。陸にも海にも基地はいらない、米軍再編交付金もいらないという、沖縄で唯一の自治体。私たちが住んでいる地域、生活を営んでいる職場、あるいは古い伝統的なところを一つずつ作り変えて、沖縄が復帰してよかったと思うような、ヤマトとウチナンチュが手を取り合って本当に喜べる日が来るまで一緒にがんばりたい」と訴えた。

大田元知事が訴え
元沖縄県知事・大田昌秀さんは、「沖縄戦の理解なしに沖縄の基地問題の理解はできない」ことや「沖縄の基地問題は本土の人たちの生活に密接に結びついている問題」であると語り(別掲)、京都出身で現在は沖縄・高江に住むヘリパッドいらない住民の会・伊佐育子さんが、高江ヘリパッド建設阻止のアピールをおこなった。
つづいて、京都平和委員会、〈沖縄辺野古への新基地建設に反対し、普天間基地の撤去を求める京都行動〉が発言。
集会後、多くの人で賑わう四条通、河原町通を経て、京都市役所までパレードした。
沖縄の闘いに学び、本土の認識を変え、沖縄米軍基地撤去の実現に向け、決意を新たにした。

沖縄戦が基地問題の原点 大田昌秀さん発言要旨

大田昌秀さん(5月13日)

沖縄の基地問題は、沖縄戦の問題を抜きにしては理解が困難になる。
沖縄戦では、男女中等学校の幼い子どもたちが、戦場にかり出された。私も当時、沖縄師範学校の生徒だったが、戦場に出された。

軍が住民を殺害
兵隊たちが、防空壕に避難している年寄りや女性、子どもたちを追い出して、そこに自分たちが入る。赤ちゃんが泣くと、壕の存在がばれてしまうからと、兵隊が母親の手から赤ちゃんを奪い取って締め殺すという信じられないようなことがおこった。また米軍上陸後、守備軍司令部が、沖縄語を話すのは間諜・スパイとして処分するという命令を出したため、標準語の使えない住民たちが多数殺害された。二度とこんな戦争は繰り返させてはいけない。
現在、辺野古では92才のおばあさんや88才のおじいさんたちが、14年間も生活を犠牲にして座り込んでいるのは、戦争を二度と繰り返してはいけないという強い気持ちがあるからこそ。

辺野古に巨大基地
嘉手納以南の人口密集地に米軍の重要な基地が集中しており、住民の権利意識が高まれば維持が難しくなると考え、嘉手納以南の基地をひとまとめにして北部に移し、(辺野古)大浦湾一帯を巨大な軍事基地にしようと米軍は、1960年代から計画を立てていた。しかし、当時(沖縄は、米軍占領下にあり)安保条約が沖縄に適用されていなかったので、米軍は、移設・建設も、維持費も、全部自己負担。ベトナム戦争で金を使いはたし、金がなかったために、図面を書かせたものを放り出していた。それが40年後に息を吹き返した。

日米安保に組み込まれた復帰
沖縄県民は平和憲法のもとに帰ると願っていたけれども、日米安保体制に組み込まれる復帰だった。復帰とは何だったのか、日本にとって沖縄とは何なのか真剣に問い直している。とりわけ私は日本の憲法が改悪されることを非常に懸念している。



記念式典に抗議
都内で集会とデモ 5・15東京

5月15日、都内で、〈沖縄「日本復帰」40年を問う!〉集会とデモがおこなわれた。主催は、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック。
午後4時から首相官邸前で「記念式典抗議集会」。申入れで官邸に向かう代表団と連帯して、各地から参加した仲間110人がシュプレコールで沖縄との連帯を誓った。午後6時半、代々木公園・けやき並木に再結集。沖縄から名護市議の東恩納琢磨さんがかけつけた。雨の中、100人を超える参加者が渋谷をデモ行進した。

投稿 沖縄の現状 見てほしい

5月13日〜15日の三日間、「ききたい つなげたい8・6ヒロシマを」実行委員会のHさんと2人で沖縄に行ってきました。

オスプレイに抗議
13日10時45分の飛行機で関西空港を出発。「平和とくらしを守る県民大会」会場の宜野湾(ぎのわん)海浜公園野外劇場に、午後2時半過ぎに到着。
大会では「MV22オスプレイ」の普天間基地への配備に抗議する発言が相次ぎました。安次富浩ヘリ基地反対協共同代表は「第二、第三の宮森小学校ジェット機墜落事故〔注〕が起きる」と危機感を表明。
第2次普天間爆音訴訟原告団長の島田善次さんは、1500人ほどの本土からの参加者に対し、「安保も抑止力も必要というなら、あなたのところで基地を引き受けてくれますかと言ったら『それはごめんだ』。これで沖縄の基地を撤去できますか」。いまだに75%もの米軍基地を沖縄に押しつけている「醜い日本人」の一人である私にズシリと重い発言でした。

集団「自決」
翌14日は南部の戦跡巡り。まずは読谷村(よみたんそん)のチビチリガマを見学。ここは米軍が上陸してきた翌日の4月2日、避難していた村民140人の内83人が集団「自決」させられた所。全員の名前を刻んだ碑が建てられています。1q東のシムクガマでは英語の話せる人がいて全員保護されたという有名な話があります。
近くの残波岬灯台に上りました。ここからは3月26日に米軍が最初に上陸した慶良間(けらま)諸島が見えます。ここでは日本軍が駐留した島では集団「自決」があり、軍隊のいない島では犠牲者は一人もいなかったそうです。
車で南下し、沖縄戦最初の激戦地だった嘉数(かかず)高台公園へ。読谷村から北谷(ちゃたん)町にかけての海岸線がよく見えます。ここに布陣していた日本兵たちは上陸してくる18万人もの米軍をどんな気持ちで見ていたのだろうかと思いました。
首里城の沖縄守備軍司令部壕を見学したあと、糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園に移動。「平和の礎(いしじ)」と資料館を見学。朝から晩までかけても読み切れないほど多数の沖縄戦体験が展示されています。
この日の最後に荒崎海岸へ、本土防衛のための捨て石作戦だった沖縄戦に、傷病兵の看護のために動員された女子高生たちが、沖縄本島最南端のこの地まで追い詰められ「自決」を強要されたのです。

住民を訓練に動員
15日は辺野古と高江を訪問。
高江では事務局長のTさんから、座り込みを続ける高江住民を日本政府が訴える裁判がやられていること、米軍は訓練のためにわざと集落に近い所にヘリパッドを建設しようとしていること、ベトナム戦争時に高江住民がベトナム市民の格好をさせられ訓練に強制的に動員された話を聞き、頭に血が上りました。
たとえ三日間といえど、沖縄の現状を見ればその人は確実に基地反対に変わります。ひとりでも多くの人に沖縄を見てもらいたい。強くそう思います。(兵庫 S)

〔注〕1959年6月30日、石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍機が墜落。児童を含む17人が犠牲となった。

拍手で応える県民大会の参加者(5月13日 沖縄・宜野湾市)

3面

新たな新自由主義的同盟
「日米共同声明」を批判する(上) 落合 薫

〈目次〉
はじめに
一、「G2」論と「東アジア共同体論」〔以上今号掲載〕
二、海兵隊の「分散配置」と沖縄基地強化
三、「日米原子力共同体」論
四、TPPと日・中・韓(+ASEAN)FTA

はじめに

今回の野田首相訪米と(公式の)日米首脳会談は、民主党政権になって初めてである。しかも6年ぶりに首脳の共同声明を出した。危機にある覇権国家・米オバマ政権と、裏切りを重ねる民主党・野田政権の新たな新自由主義的同盟の宣言である。沖縄米軍基地の維持強化、原子力協力などを新たに謳いあげる犯罪的なものだ。
以下、三点の文書を検討・批判する。
Aは、「日米共同声明 未来に向けた共通のビジョン」と題する4月30日の日米首脳会談で発表した声明である。
Bの「日米共同文書」は、4月27日の日米安全保障協議委員会(2+2)で採択したものである。
C「ファクトシート 日米協力イニシアティブ」は、A、Bにともなう確認のメモといった性質の文書である。
3つのうち、A・Cの2文書が外務省のホームページで、「仮訳」となっている。かつて2010年5月28日の2+2の共同発表が、これも日本文は仮訳で、正文である英語版を読んで初めて辺野古新基地に設置される滑走路が複数であることが判明するということがあった(「語尾に複数形の「s」が付いていた」)。同様の「たくらみ」がないか、監視を強化しなければならない。

一、「G2」論と「東アジア共同体」論

日米同盟
Aでは冒頭から主語が「日米同盟」となっている。しかもそれが60年間も続いたかのように書かれている。「同盟」(alliance)とは軍事的・政治的な「(国家間の)むすびつき」という意味であり、少なくとも対等な力量を持った2つ以上の権力実体間の関係を指す。しかも日米安保関係について「同盟」という言葉が使われたのは96年の「日米安全保障共同宣言―21世紀に向けての同盟」が初めてであり、「日米同盟」という言葉が使われたのは2005年10月に発表された「日米同盟 未来のための同盟」が初めてである。それ以前には日米双方とも「同盟」という認識はなかったのである。
Bでは、「日本における米軍の堅固なプレゼンスに支えられた日米同盟」という形で、「同盟」の中心的または唯一の実体が、在日米軍であることを露骨に押しだしている。このように、「日米同盟」が軍事同盟であることをいままで以上にはっきり押し出しておきながら、「同盟」を謳うなら当然あるべき〈共通の価値観・理念〉はない。他方で軍事同盟なら第一に掲げるべき「敵」が明示されていない(全体の文脈で中国や朝鮮民主主義人民共和国と読めるが)。この共同声明・共同文書は、アメリカ帝国主義が日本帝国主義を篭絡し、制圧し、動員することを最大テーマとしていることが分かる。

米の対日政策
戦後の米帝の対日軍事政策は、日本に軍事力を保有させても独自の攻撃能力は発展させないことと、日本国内に軍事基地を保持する、の二点に力点があり、 それは現在も引き継がれている。
それにたいし、日本が対米従属的「日米同盟」路線を取るか、「東アジア共同体」的な対米対抗の路線をとるかの選択は、戦後の日米関係を大きく規定してきた。米帝の政治中枢は、日本の政権が対米対抗的動きを見せるとあらゆる手段をとって引きずりおろしてきた。
古くは、田中角栄首相が米国に先駆けて1972年に日中国交正常化を実現したことを叩くために、「田中金脈問題」を使って引きずりおろした。第二は、細川護熙首相が、1993年の朝鮮半島危機に際し、在日米軍司令部が防衛庁統合幕僚会議に1059項目の要求(米軍による民間空港や港湾の使用、自衛隊が米軍のために行う輸送、補給、救難などを列挙)を示したとき、「集団的自衛権の行使にあたる」とゼロ回答、1994年には「防衛問題懇談会」を立ち上げ、「日米安全保障協力」よりも「多角的安全保障協力」を重視する報告書(通称「樋口レポート」)を作成させたときである。米国政府中枢はこの細川首相を叩くため、武村正義官房長官を引きずりおろし、内閣を崩壊させた。第三が、今回の鳩山由紀夫政権である。米国を排除する「東アジア共同体」論を唱え、「普天間は最低でも県外へ」と言うやいなや、あらゆる手段を使って引きおろしたのである。

オフショア・バランシング
現在の米帝の政治中枢の対日政策は、オバマ大統領就任直後には、日本切り捨て・日本無視、中国重視の「米中G2」論であった。それも軍事・「安全保障」問題よりも経済問題での中国重視、中国依存である。オバマ大統領が2009年11月訪中時の演説で、「米中関係が21世紀を形作る。したがって米中関係は世界でもっとも重要な関係である」と述べたことに表れている。西部邁などの右翼理論家が、「アメリカは赤字予算の負担の重みにもはや耐えかね、アジアの防衛を『新同盟国』の中国にゆだねる選択を考慮の対象とするかもしれない」(『日米安保五〇年』)などと危機感を募らせるのは、このことに基づいているのだ。
ところが米国は覇権力が後退し、単独で中国に対応することはもはや不可能であることがはっきりした。そこで米国が国家戦略として採用したのが、中国との関係強化をメインにしながら、補完的に日米同盟で日本を動員する戦略(「ヘッジ戦略」ないし「オフショア・バランシング」)である。
しかし日本の側から見ると、現在の野田政権を含めて、世界を食いつぶして覇権国家としての延命を図る米国への迎合一辺倒では帝国主義としてもたない。そこで、沖縄基地については米国の思惑を先取りして固定化、新基地建設を進めながら、軍事的な日米一体化(共同訓練、共同派兵、基地共同使用、武器開発協力)の形をとって、独自的軍事力の強化を狙っている。TPPに関しても、日中韓やASEANなどとのFTA形成と両天秤をとろうとしている。この日米の思惑がぶつかりあったのが今回の日米首脳会談、共同声明である。(つづく)

新刊案内 『自衛隊員の人権は、いま』

05年11月13日、航空自衛隊浜松基地第1術科学校に勤務するS三曹(下士官)は、休日勤務の後、自宅アパートにおいて無念の自殺をした。原因は入隊直後から始まった10年余に及ぶ職場の先輩隊員Nによる陰湿かつ執拗な虐めである。親族の訴えによる裁判で静岡地裁浜松支部は昨年7月、原告の訴えのほとんどを認める判決を下し、勝利が確定した。
本書では、裁判で明らかになった事件の真相、自衛隊の実態、そこで生きる自衛官の生の声、支援に関わった人びとの思い等々があらゆる角度から語られている。
私がとりわけ心をうたれたのは、親戚をはじめ多くの自衛隊関係者との関係が深い、元自衛官の父親がどのような思いで提訴にふみ切ったかということ。またS三曹の後輩であった元同僚の女性自衛官は、現職自衛官である夫の協力を得て裁判の証人として立ち上がったという個所である。

隔離された空間
本書には、本件の他に4件の人権裁判が紹介されている。
これらに共通することは、自衛隊という隔離された空間で陰湿な虐めによって自殺を余儀なくされた自衛官、上官隊員から集団暴行を受けて殺害された自衛官の姿である。
悲しみの中から立ち上がった家族(遺族)に対し、自衛隊当局(上級者)は、自殺にまで追い込んだ責任を取ろうとせず、自己保身から責任逃れに汲々とし、一方で証拠の握りつぶし、あるいは改ざんをおこなってまで事実を隠蔽し犯人を擁護。他方では被害者に問題があったかのように描き上げるために、「死人に口無し」とばかり、(自殺に追い込まれた隊員が)「能力不足や家庭問題で悩んでいた」「ギャンブル・風俗で借金を作っていた」など事実無根のデマで誹謗・冒涜した。
しかし、防衛省と自衛隊当局による卑劣な振る舞いへの、一歩も引かない家族の闘いに、いずれの裁判でも現職隊員や元隊員が隊内決起=内部告発で応えた。

年間100人が自殺
1991年4月、掃海艇ペルシャ湾派兵で始まった海外派兵の20年、とりわけ01年9・11を契機に開始された特措法での「戦地派兵」(01年インド洋、03年イラク)の10年間におこった虐め・セクハラ・パワハラの激増と、そのひとつの結果である自衛官の年間100人近くに及ぶ自殺という異常な事態。
そこで生きる自衛官たちにとって、本書に登場したすべての闘いは、他人事でもなければ過去の事例でもない。これらの闘いが切り開いた地平が、そのまま虐めとパワハラから身を守り、今日・明日を生き延びるための「塹壕」となるのである。
そういう意味で本書は徹底的に活用されねばならない。自衛隊を『真空地帯』(野間宏)にしてはならない。(小多基実夫)

浜松基地自衛官人権裁判を支える会 編 社会評論社
2012年3月12日発行 1800円+税


4面

シリーズ 橋下改革を斬る(第1弾)
「住民に不利益、負担」おしつけ
大阪市の市政改革プラン

大阪市が市政改革プラン(素案)を発表した。5月11日に発表し29日までにパブリックコメント(市民の意見募集)を実施したとしている。今後成案をまとめ7月市議会でこれに基づく予算を策定するという。4月に示した「住民サービスに切り込む見直し試案」をほぼ踏襲し、今後3年間で約100事業を削減・廃止、488億円をカットするもの。橋下自身が「住民に不満足≠与える改革案」とうそぶく、あらゆる住民サービスの切り下げだ。「大阪市民はぜいたくしている」という暴言を吐きながら。

公約違反
2011年1月に発表された大阪維新の会・統一地方選用マニフェストでは、優しい大阪として「特別区(自治区)は、現在大阪市が提供している住民サービスのすべて(敬老パスを含む)を提供します」とある。成長戦略には「大阪都構想の基本は、住民に身近で、住民に優しい行政(基礎自治)の実現を可能にし、住民サービスを向上させるのに必要な財源捻出の仕組みづくりです」と規定している。昨年11月のダブル選でまかれたビラには、「大阪市役所の大改革で税金の無駄遣いをストップし、住民サービスを拡充します」、「敬老パス制度は維持します」、「24区、24色の鮮やかな大阪に変えます」などと書き連ねていた。橋下はツイッターで「国民との約束であるマニフェストは、政治的最高規範だ」と、マニフェストを守らない民主党を非難していた。みずからの公約に責任を取れ。

大阪市の解体を準備
大阪都構想の全容はだれもわからない。具体的な区割り案などできようもない。しかし市政改革プラン(素案)では老人福祉センターが現在26カ所あるものを18カ所に、屋内プールやスポーツセンターは各区にあるものをそれぞれ9カ所に削減する。大阪都になれば9つの特別区になるから9カ所(18カ所)しかいらないというものだ。大阪市の解体が始まっている。

公共事業費は削減なし
「ムダを徹底的に排除」とうたっているが、管理経費の削減や事業の合理化は見当たらない。その一方でとんでもない計画が出されてきた。大阪人権博物館(リバティおおさか)に対する補助金を廃止、大阪人権博物館と大阪国際平和センター(ピースおおさか)を統合して「近現代博物館(仮称)」を造るという。「つくる会」教科書の編集にかかわった者から助言を受けるしろもの。これに200億円かける。
大阪城公園でモトクロス世界大会を開催することも検討している。賞金の1億円は大阪フィルハーモニー交響楽団や文楽協会への助成金カットで生み出すとしている。

朝鮮学校への補助金打ち切り
マスコミは素案について「削減額を試案より約60億円圧縮した。市民負担が緩和される」、「譲歩」などと報道した。しかし圧縮額の半分は「試案」で過大に計上したものを訂正しただけだ。見直しで目玉にされた区民センター廃止の中止(5億円)が目立つだけだ。その裏で試案にはなかった朝鮮学校への補助を打ち切るなどいっそう差別的排外主義的プランになっている。許せない。

市政改革プラン(素案)の施策・事業見直し一覧(抜粋)

【直接サービス】
〇国民健康保険  
低所得者に対する3割減免を廃止 
3割減免廃止を含め所得200万円層の保険料負担が、府下平均程度になるように繰入金を削減 出産一時金を、第二子、第三子で「他都市水準」へ引下げ
〇上下水道料金福祉措置 
重度障害者世帯、ひとり親世帯、高齢者世帯、 精神障害者世帯等の上下水道料金の基本料金相当額(1576円)減免を廃止
〇敬老パス 「利用額の50%負担、上限2万円、 私鉄利用拡大」などを検討
〇がん検診・総合健康診査事業(ナイスミドルチェック) 廃止
〇新婚世帯向け家賃補助 一部補助を廃止(当面は、新規募集の停止)

【地域】
〇地域福祉活動支援 
中学校区に1名配置の地域生活支援ワーカーを128名から24名に縮小
小学校区単位の地域ネットワーク委員会のネットワーク推進員を廃止 
ひとり暮らし高齢者等対象とした会食・配色 サービス「食事サービス事業(ふれあい型)」は、 食事にこだわらず、喫茶・軽食など経費の縮減を図る
小学校区単位で地域の高齢者の自主活動などを行う拠点の老人憩いの家は、運営助成金(1カ所43万8千円)を運営経費の1/2補助 に切り替え
〇赤バス運営費補助 10億円削減する(路線の大幅廃止)

【地域施設】
〇老人福祉センター 26カ所を18カ所に削減
〇各区屋内プール 24カ所を9カ所に削減
〇スポーツセンター 24カ所を9カ所に削減
〇子育ていろいろ相談センターは廃止
〇市民交流センター 各地域の地域老人福祉セ ンター、人権文化センター、青少年会館を市内10カ所の市民交流センターに集約したものだが全廃
〇教育相談事業 相談事業、不登校児童支援の通所事業を行うサテライトの設置場所を、廃止予定の市民交流センター等から開設場所を再検討のうえ、14カ所から9カ所へ削減

【保育所】
〇保育料の軽減 非課税世帯からも保育料を徴収する。保育料を全体として1億5千万円程度引き上げる
〇ファミリーサポートセンター事業 予算は「子育て活動支援事業」へ移行。(「子育て活動支援事業」側では、追加費用の計上は行わない)「子育て活動支援事業」と共に24カ所を18カ所へ統合
〇1歳児保育特別対策費 補助金を廃止
〇民間保育所職員給与改善費 廃止

【小学校・中学校】
〇学校給食 食材配送費を保護者負担に切り替え(給食費の値上げ)
○いきいき放課後事業は、公募化し、時間延長 などを図る
○子どもの家事業は、留守家庭児童対策事業(学童保育)へ移行。(有料化)
○学童保育はいきいき放課後事業への移行を図るが、移行しきれない部分については、いき いき放課後事業の補完的役割として補助を継続する。現在無料のいきいき放課後事業も、一部有料化などを検討
〇学校維持運営費 統廃合方針で調整を始める 小学校6校分と中小一貫校移行小学校2校分の経費を削減
〇体験型学習 小学校、中学校、特別支援学校での「自然体験学習」「ボランティア体験学習」など体験活動廃止

【施設】
〇障がい者スポーツセンター 長居障害者スポーツセンターは大規模更新時期まで継続し 広域への移管に。舞洲障害者スポーツセンターの宿泊施設は収支均衡策を講じ毎年検証。市外利用者の負担を検討
〇弘済院 認知症専門特別養護老人ホームは民 営化。附属病院は廃止又は民営化を検討。特別養護老人ホームは民営化を検討。養護老人ホームは廃止
〇軽費老人ホーム補助金 サービス提供経費の補助は加算部分を廃止
〇市民病院 一床当りの繰出金を府の水準に削減
〇住まい情報センター 住まいの相談や啓発事業は区役所へ移管
〇青少年野外活動施設 伊賀青少年野外活動セ ンターは廃止
〇生涯学習センター 廃止
〇男女共同参画センター 5カ所とも廃止
〇キッズプラザ運営補助 基礎自治体としては廃止
〇環境学習センター 廃止

【団体補助】
〇地域コミュニティーづくり事業 25%削減
〇社会福祉協議会交付金 25%削減
〇大阪フィルハーモニー協会及び文楽協会 助成金の25%を削減

【その他】
〇あいりん施設関連 大阪社会医療センターは(入院機能を廃止し)診療機能のみに。あいりん生活道路環境美化事業・あいりん高齢日雇労働者等除草等事業は、特定非営利法人への随意契約を公募化
〇音楽団 廃止
〇ごみの管路輸送 廃止 普通ごみ収集へ移行

【市民利用施設の見直し】
○いきいきエイジングセンター 廃止
〇大阪南港魚つり園 廃止
〇クラフトパーク 廃止を含め検討
〇舞洲野外活動施設 廃止を含め検討
〇大阪南港野鳥園 廃止を含め検討
〇子育ていろいろ相談センター 現施設は廃止。地域の子ども・子育てプラザ等へ機能移転
〇愛光館(母子福祉センター) 現施設廃止で、区保健福祉センター等への機能移転や大阪府母子福祉センターとの統合を検討
〇総合生涯学習センター 地域の生涯学習ルー ムや区民センター、老人福祉センターなどへ機能移転後、受益者負担の引き上げを検討
〇市民学習センター 地域の生涯学習ルームや区民センターなどへ機能移転



教育・職員基本条例を強行可決

5月25日、大阪市議会で「教育行政基本条例案」「職員基本条例案」が、強行可決された。これは、すでに成立・施行されている大阪府条例とほとんど同じ内容で、自治体首長が教育に直接介入し、「君が代」起立強制条例(すでに施行)を念頭に、同じ職務命令に3回違反したら分限免職する(大阪市条例では懲戒免職も可能)というもの。
保護者からの意見というかたちで、教育委員会や右翼勢力の教育現場(教育内容、人事)への介入を容易にする「大阪市立学校活性化条例案」は、継続審議となった。
教育・職員基本条例案は、昨年9月市議会に維新の会が提出し、否決されていたが、今回、橋下市長提案として再提出。維新単独では過半数に届かないが、議会第2勢力の公明党が全面賛成に転じ、成立した。職員基本条例案は、自民党も賛成。
憲法や法律を無視し、条例で強行突破する橋下政治をうちやぶろう。

さよなら原発!佐賀集会に2500人

5月27日、原発の再稼動反対と廃炉を訴える「さよなら原発!佐賀集会」が玄海原発立地県の佐賀市・どんどんどんの森公園で開催された。昨年11月の福岡1万人集会をはじめ、九州各地のさまざまな団体・市民が「脱原発」の一点で行動をともにした。
東北・関東から子どもとともに避難してきた母親は「原因不明の子どもの鼻血・下痢」や「リンパ腺の腫れ」にふれ、原発や放射能に無知・無関心だったことへの反省と、自分で調べ自分で行動するという強い思いが語られた。
参加者はサウンドカーを先頭に九電・知事公舎・県庁への3つのコースでデモをおこなった。

大飯・伊方の再稼働阻止へ 大阪で終日集会とデモ


5月27日の午後、扇町公園(大阪市北区)に2200人が集まり、「あかんで!大飯・伊方の再稼働 5・27関西行動」がおこなわれた。集会では元京大原子炉実験所講師の小林圭二さんが主催者あいさつ。福島から椎名千恵子さんが「もう二度と、フクシマを繰り返してはなりません。体を張って再稼働阻止を」とアピール。サヨナラ原発福井ネットワークの山崎隆敏さんは、再稼働させない大行動を訴えた。集会後、関電
本店前を通り、西梅田までデモ行進。〔上写真〕
この日の午前中は、大阪市立こども文化センターで「基地も原発もいらない5・27講演集会」がおこなわれた。椎名千恵子さん〔右写真〕と京都沖縄県人会会長の大湾宗則さんが講演。服部良一衆院議員と〈STOP原子力☆関電包囲行動〉の韓基大さんが発言した。

5面

被ばく地・フクシマで出会った人びと(6)
福島、関西、力を合わせ
「3・11」をこえていこう 古河 潤一

7度目の福島行き。趙博さんとともに、田村市、飯舘村、三春町を訪ねた。出獄「よかったね」、笑顔が待っていた。
4月25日夜、福島市飯野町にある仮庁舎で、飯舘村当局と国が、長泥地区住民200人に説明会をもった。「大阪から来ました」と参加。
国の再編計画で飯舘村は、年間積算放射線量で3分割される。@早期に帰還を目指す区域、A帰還まで数年程度かかる「居住制限区域」、B5年以上は戻れない「帰還困難区域」。
説明会の話では、長泥全域がBにあたる。長泥への道路は全てバリケードで封鎖される。帰宅の際は、バリケードの鍵を村役場まで取りに行くなどする。少し「不自由」になる、というのである。
昨年の野田首相「福島第一原発、冷温停止」宣言が前提。福島各地で始まった「除染モデル事業」。全マスコミの「福島安全」キャンペーン。川内村と田村市で4月1日から、南相馬市で4月16日から、相対的に線量が低い、被ばくが少ないとされる地域で、帰宅が始まった。
二枚舌、うそ。避難者の分割、切り崩し。最悪の棄民政策。
説明会で、長泥住民のTさんは国と行政をただした。「長泥は、もう飯舘村ではないのですか。私は飯舘村の人間ではないのですか。私は存在しないのですか」
いったい、どのようにこの先、福島、飯舘、長泥の人びとはつながっていけばいいのか。

大阪で講演集会
5月25日、〈原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて!『鎌田慧 講演会』〉。出演者も参加者も実に個性豊か。会場は埋まった。
司会は趙博さん。まず開演前、「精神病者」のTさんが、三里塚でたたかった思いを、ギターで弾き語り。趙さんが「橋下たおせ」と「原発止めよう」を歌う。おーまきちまきさん、ハルマ・ゲンさんが東北・福島につながろうと「愛の歌」を歌う。奏でる。おしどりケン&マコの漫才は過激に「原発あかん」と。歌、トーク、芸。会場は笑いが爆発した。
鎌田慧さん、「いま、原発は全て止まっている。だが、福島第一原発の4基は臨界=爆発の危機を脱してはいない」「原発の建設・運転に、モラル・倫理はない。国と電力会社、腐敗の極み」「いま、日本の暗部を打倒しなければならない。怒りを行動へ」(「そうだ」、拍手)「7月16日、東京で10万人集会やります。大阪からも来て下さい」。行こう東京へ。原発廃炉に。
アピールは、三里塚決戦勝利関西実行委員会代表世話人の永井満さん、関西合同労組、とめよう原発!!関西ネットワークから。
「福島報告」を趙博さんと私が、福島訪問で撮りだめした映像を使っておこなった。
「皆とともにたたかおう」誰もがそう思った。参加者352人。私、今後も全力で福島の人々とつながり、原発を止めよう。大きく前に出た実感。
翌日、〈ふくしまっ子 夏休み 大阪においでよ プロジェクト〉が動きだした。宿泊場所、協力者募ります。カンパもお願いします。
6月14日、「福島支援弾圧」第1回公判。午後1時30分から、大阪地裁1005号法廷。ぜひ、来て下さい。

出演者、参加者、実に個性ゆたか。皆でスクラム、一歩前へ(5月25日 大阪市内)

投稿 放射能汚染ガレキの広域処理
各地で反対の声 尼崎市で対話集会

放射能に汚染されたガレキを全国各地で焼却し、列島全域を放射能で汚染させようという動きが強まっている。兵庫県では「阪神淡路大震災のときのお礼」の名目で、関西広域連合議長も兼ねる井戸知事が、県下の自治体に受け入れ要請を4月9日に出した。
これを受けて西宮市・尼崎市などが受け入れると報道され、抗議の声が上がっている。また三木市、篠山市、宝塚市、南あわじ市などは不可を表明し、川西市なども実質不可能の方向が出されている。
5月16日と20日に、尼崎市で稲村市長との対話集会が開かれ、両日あわせて350人が参加した。稲村市長は「まだ決めていない。ゼロベースで」と言いながら、試験焼却を表明した。
これにたいし、関東からの避難者や有機農業をいとなむ人などから、「放射能には安全というものはない」「農作物被害が出たらどう責任をとるのか」など反対の声が次々とあげられ、賛成を表明したのは80人近くの発言者のうち、わずか数人だけだった。また「そもそも広域処理は東北の人も望んでないし、東北で処理すれば雇用にも繋がる」との意見も出された。
にもかかわらず市長は、受け入れ・試験焼却をあきらめてはいない。
隣接する西宮市では、市長が「絆のために焼却」論を言い、怒りの声が強まっている。
いま、兵庫では、県下各地での保養キャンプなどを通じて、福島現地や避難者とつながりが始まり、原発容認・放射能容認の「世論」に負けず、自分で学び行動する人びとが急速に増えている。
これらの人びとと一体になり、放射能汚染ガレキ受け入れ・焼却、原発再稼働をストップさせていこう。(尼崎・K)

原発収束作業の現場から
ある運動家の報告 ―第6回―

東京と福島

――東京と福島の関係についても問題を提起されています


そうですね。東京の人びとは、一方的に電力を享受してきた立場で、福島・新潟っていうのは一方的に作って送り続けていく側。福島の人は、一切、東電の電気を使っていません。
そこで問題なのが、圧倒的多数者の東京・首都圏の人たちが、少数の福島・新潟などの原発立地周辺の人びとにたいして、ある種の帝国主義による植民地支配のような眼差しをもっていることです。それは、権力を持っている者、為政者と全く変わらない眼差し・同じような意識です。それは、運動の側でもそういう眼差し・意識に立っています。それがものすごくこわい。このことに思いが至らなかったら、たぶん反原発運動はおしまいじゃないか。

――これは、沖縄の側から米軍基地問題で提起されていることと通底している


全くその通り。僕も、そこにつなげようと思っています。琉球民族の土地に基地を押しつけるというのはまさに植民地問題なんです。

――「基地を東京へ持って帰れ」と、沖縄の人たちが言います。それにたいして、本土の運動の側が、激甚に反発します


そうなんです。
琉球民族の人口が、だいたい日本民族の百分の一ですね。多数決で言ったら沖縄は一方的に蹂躙される側です。そういう関係の中で、本土の側は、体制側であろうと反体制側であろうと、沖縄の米軍基地を引き取ろうとは絶対しないです。そういう意味では、為政者・体制と同じ眼差しで琉球民族を支配してます。
それと同じ構造が、首都圏が福島や新潟にたいしておこなっていることに現れています。

――そういうことを無自覚に進められるのが、近代日本の基本的な意識構造


そうです。沖縄と東北地方に矛盾を押し付けることで、帝国日本が成り立ってきたわけです。その問題が、こんな形でだけども、ようやく見え始めてきました。
この切り口をどうやって、これまでの運動の本当に反省と転換ということに持っていけるだろうか。それができなかったら、本当にもう大変なことになるなという気持ちです。

「ガレキ受け入れ反対」への異議

――全国で、「ガレキ受け入れ反対」が運動化しています


東京や神奈川・千葉で、反原発運動が盛んですよね。だけど、たとえば、松戸市や流山市は、降り注いだ放射性物質が濃縮された下水の汚泥やゴミの焼却灰を、秋田に捨てていたんです。
もともと、首都圏は、産業廃棄物を東北地方に捨ててきた。東北地方は、首都圏のゴミ捨て場。そういう構造になっていました。松戸市や流山市は、その汚泥や焼却灰が高濃度の汚染物質だということは分かっていたんです。だけど、国が発表する前に、秋田などに黙って送っていたという問題です。だけど、松戸や流山の運動は、このことを問題にしていませんね。

――たしかにガレキ問題は、放射能問題を考え始める契機としてあると思いますが、なぜ東京に電力を供給する原発が福島にあったのかとか、汚染と被ばくに苦しむ福島の住民や被ばく労働を担う原発労働者の存在といったことに思いをはせるということがないと、先ほど言われていた「為政者と同じ眼差し」になっていきます


そうです。
福島の方に、クソをずーっと溜め続けていて、そのクソが飛び散ってしまった。東京の人は、「クソが飛んできたじゃないか!」って文句を言っているけど。「それ、あんたが流したクソでしょ」って。自分のクソの処理ぐらい自分でやんないと。せめて「いっしょに掃除しましょうよ」というふうになりたいんですけどね。反原発であろうと推進派であろうとね。
ところが、反原発運動をやっている人は、自分たちは被害者で、まったく罪はないという風に思っていますね。

――たしかに反原発の人でも、加害の問題を提起すると反発する人も


そうですね。そこにどうアプローチするか。「原発を、消極的であれ、積極的であれ、推進してきた側と同じ歩調でいたんだよ」ということを、分かってもらうためにはどうしたらいいのか。難しいと思うけど。(つづく)

6面

第15弾
原発を止めるために行動するとき
関電包囲行動を1年間つづけてきた
韓基大(ハン・キデ)さん


――5月5日に泊原発が止まり、稼働原発はゼロになりました。反原発を闘ってきた者にとって大きな事態です


楽観はしていませんでした。全原発を止めなければと思って運動をしてきたが、簡単にはいかないと思っていた。だから喜んだというより、拍子抜けでした。
去年の5月頃から関西電力本店を包囲する行動を始めたのですが、そこで原子力産業の巨大さにあらためて気づきました。経済産業省、原発製造メーカー・財界、大株主の自治体、学者・大学・マスコミも含め、国家というかオールジャパンというものを感じた。
そういう認識は今も変わりませんが、この過程で、思った以上にそれが弱くなったと感じます。歴史の中で旧来の支配者が倒れるとき、支配者がその力が弱くなっていることに気づかない、今そういう状態なのかと。
主体的に言えば、なかなか勝てないと思っていた相手に対し、自分たちさえ強くなれれば勝てると思いました。それが見えたのが、5・5だと思います。

――「3・11」一周年から、厳しい過程を経て「5・5」に至りました


正直この間は、しんどかったです。それは3・11以前からあった。「関電包囲行動」も、「とめ原(とめよう原発!!関西ネットワーク)」も、ある意味どの運動もそうだったと思うのですが、具体的な展望も無いままに、今年の3・11を彼らのペースでやられ、そのあと、4月末に一気に再稼働に進むのではないか。それに対して〈確かな反対の流れ〉を作りきれていない。その重さだったと思います。
もちろんこの1年、運動内部では運動歴や世代間や運動スタイルなどで、さまざまな対立があった。しかしそれは初めからあったわけで、この時期に急に出てきたものではない。 なのに3・11から4・21(眠れ原発、再稼働さすな!集会)の過程は、失敗の原因を探すような総括になってしまっていた。勝たねばならないがこじあかない。そうすると運動内部に目が向かう。どの運動、どの団体でもそうだが、一定期間運動をやると内部に問題を抱える。それが、問題を隠ぺいしたり、解体に向かったり、他者を排撃したりするのではなく、運動自身が自己解決能力を持つことができるかどうかが問われるのだと思います。

―――それをどう越えたのですか


4・21は、とめ原が単独でやった闘争でしたが、本当に自主的に動く人びとの運動だった。数は多くはなかったが、座り込みに対する関電側の制約(妨害)をまた一つ超えた。関電側も、抗議闘争への対策は蓄積していて、関電前での行動に対する制約は、きつい。そこに4・21の最後はフルバンドの音楽が登場しました。
決定的だったのは、4・26おおい町での住民説明会へ関電包囲行動としてマイクロバスを出したことでした。この闘いにUさんから誘われました。
Uさんは、昨年、関電包囲行動を始めた初回に、知りあいでない人で来てくれた最初の人でした。その後、経産省前のテントにいて、4月には大飯現地にテントを張るのですが、彼はその直前関電前に「関電をやっつけに来ました」とか言って現れました。その彼から「バスを手配するから、関電包囲行動として大飯に来てくれ」と声をかけられました。
4・26当日は、平日・昼間なのに、関電本店前に計150人が集まった。岐阜・愛知からは「私たちも被害地元です」とバスで30人がやって来た。
この方たちが、府庁に向った後、ヒューマンチェーンを80人でやりました。そのまま25人がマイクロバスでおおい町に向かったのです。この日はチェルノブイリ事故26年目で、ベラルーシの医師と教師が来日し関電に申し入れに来ました。
おおい町で再稼働を止めるということで、26日は、どこまでできるのかがあった。雨の中、町主催の説明会に参加する住民にビラをまき、マイクで訴える。その際の警備が、地元住民に対しても無礼だった。それへの怒りが湧いた。警備を突破する人も出てきた。警察ともめて、押し返されたあと、私はずっとマイクを握り、1時間ほど訴えました。
内容は、「あんたらは誰を守ってるんや。自分の首絞めてんとちゃうか。いや、あんたらの家族の首絞めてるのかもしれんな」と訴えて、これには警備も結構動揺していた。
この過程で、福井、京都・滋賀、大阪・関西が連携し、さらに福島・東京がつながった。この闘いが、4・26説明会で住民の中から「不安だ」という声が上がるのに繋がったと思う。全体の運動が有機的につながり、その結果としての5・5の全停止だったと思います。

――韓さんが運動に参加した契機、また辺野古行動・沖縄のことは


それはイラク反戦です。それまで「自分は社会問題に明るく、いろいろとわかっている」つもりでいたのですが、全世界で1000万の行動の報道に、テレビの前で評論しているだけの自分でいたら「ダメだ」と思いました。それでイラク反戦に参加し、それから辺野古の反基地運動、自分の民族問題、原発へと広がっていきました。
〈辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動〉の運動は、始めて7年になります。今も毎週土曜日、大阪駅前でやっています。
その運動の中で思うことは、沖縄の人が「県外移設」「基地を持って帰ってくれ」と言う意味を考えないといけないだろうと。薩摩の侵攻があって、明治の琉球処分で沖縄は植民地とされた。同化政策だが同化させない「二等国民」扱いで、それが「人類館」事件では「南洋の土人と同じ扱いをするな」となる。差別することで差別から逃れようとする構造にはまって失ったものを取り戻すため、沖縄人の総括が続いています。戦後の復帰運動も何処に復帰する運動だったのか、今日的に運動の総括が必要と思います。もちろんヤマトの責任は重大です。
私は私自身を単に「在日」と言ってきましたが、関西に住む沖縄の人も「在日」です。朝鮮人だけが在日ではないことを強く感じました。在日だから持っているものがある。反発したり培ってきたものがある。その中で、改めて日本の植民地主義に気がつかせてくれたのが〈辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動〉でした。

――在特会が「被害届」をでっち上げ、警察から執拗な呼び出しが続きました


昨年9月、大東市(大阪府)での「反橋下全国集会」に参加する際に、会場最寄の駅前で在特会に囲まれ唾を吐きかけられた。なのに、在特会はそれを「暴行事件」として被害届けを出し、警察の呼び出しが続きました。
最初は個人的に対応し、「行かない」ということだけ伝えていたが、これは個人の問題ではなく在特会を使った弾圧だ、ということで抗議署名が呼びかけられ、多くの人から署名をいただきました。それでおさまりかけたのですが、その後、再び、連続的な呼び出しがあり、最後はそれを無視したところ、呼び出しは停まりました。
そして最後に、検察から呼び出し状が来たので、弁護士に相談し、電話で出頭拒否を伝えました。警察・検察は、これでお手上げとなり、書類は作ったが、逮捕も起訴もできない結果に。不起訴、起訴猶予、処分保留のいずれかだと思います。無罪放免です。
この件で私が逮捕されれば、在特会の得点になり勢いづく。で、逮捕されてはならないと思ってきた。いろいろと支援ありがとうございました。

――大飯原発再稼働への悪あがきが続くなか、関電株主総会が6月27日に開かれます


再稼働は絶対に許されない。ただ、もし再稼働されてもこちらの責任ではない。運動が弱いからと考える必要はありません。再稼働ありの時は、6月27日の株主総会で、「何がおこるかわからない」と、たたきつける。
株主総会は、梅田芸術劇場という大阪のど真ん中、若者が一番集まる街でおこなわれます。ここに、あらゆる人びとに集まってもらいたい。あらゆる形態で押しかけて、どこの団体が主導権を取るということでなく、全国から押しかけて包囲することで5・5以上の展望が生まれると思います。
原子力発電は、技術の開発、原料の採掘、電源立地、被曝労働に至るまで、差別と搾取で成り立っています。山谷や釜ケ崎に、在日朝鮮人や部落民や沖縄人が大勢いて、そこから原発に駆り出され被曝労働が起こる。この差別構造を抜きに原子力は成り立たない。この関係を作り変えるなら、その先の未来は見えてくると思います。

韓基大さん
〈STOP原子力★関電包囲行動〉をたちあげ、毎週のように関西電力本店前で 座りこみをしている。昨秋、多くの団体・個人が集まってつくられた〈とめよう原発!!関西ネットワーク〉に参加。また、〈辺野古に基地を絶対作らせない大阪行動〉に開始当初から参加。毎土曜日、大阪駅前で継続中。在日朝鮮人3世。〔写真は5月27日、大阪のデモで先頭を歩く韓さん〕