学習資料
プレオブラジェンスキー「新しい経済―ソヴィエト経済に関する理論的分析の試み」
アレック・ノーブ「ソ連経済史」の要約

掛川徹


プレオブラジェンスキー(1886―1937)は1903年にロシア社会民主党に入党、1917年革命当時はメジライオンツィに属し、トロツキーとともにボルシェビキに合流した革命家である。23年に始まるスターリン派の反対派粛清攻撃にたいしては、反対派の経済政策におけるスポークスマンの役割を果たすとともに、一貫して党内民主主義を擁護してたたかいぬいた。27年に党から除名されたが、反対派の壊滅的敗北とスターリンの工業化開始−いわゆる「左転換」をもって復党、37年に粛清された。「新しい経済」はブハーリンとの路線論争として1926年に提出された左翼反対派の経済綱領ともいうべき位置をもっている。
アレック・ノーブは1915年ロシア生まれで英軍に勤務した経験を持つブルジョア経済学者である。
上記2冊を読むことで、われわれは革命ロシアが苦闘した経済建設過程の概観を得ることができる。
当時の革命ロシアが直面した課題は非常に厳しいものだった。後進的農民経済が国民経済の過半を占めるロシアで、国有化された工業部門も技術面で西欧列強の劣勢にあり、ドイツ革命が遅延することで外部からの援助も当面期待できない状況の下、いかにして社会主義建設を進めていくのか、という前人未到のテーマである。
当時、ソビエト権力が手探りで行い、プレオブラジェンスキーが「社会主義的原始蓄積過程」と名付けて定式化した経済建設の方策は、主として農業部門からなる前社会主義的生産部門の余剰を社会主義的工業部門の拡大再生産の原資に充てる、ということであった。当時農業部門を担っていたのは、革命で地主を排除して土地を獲得した家族経営の農民であるが、市場を通じて彼らに工業製品を提供するのと引き換えに農作物をソビエト国家が購入し、都市労働者の食糧あるいはソビエト工業の原料と設備更新費用に充当する。さらなる余剰農産物は国外から工作機械や機関車などを購入する費用に充てるが、純商業ベースでロシアと西側帝国主義の工業製品が競合すればロシア工業の破滅が必至なため、国際交易は国家が厳重に管理することとした。
こうして形成される農工間のバランスにおいて、拡大再生産に最適な比率はどのようなものか?というのが本書を記したプレオブラジェンスキーの問題意識である。
詳細は本書を見ていただきたいが、ソビエト経済が広範な市場経済を有しているとはいえ、ここに社会主義建設の原型的な在り方が示されていることをプレオブラジェンスキーは力説している。

掛川から2点ほど補足しておきたい。
(1)圧倒的な工業力を有する帝国主義に包囲された後進的な農民経済が、いかにして自前の先進的工業を立ち上げていくのか、という観点だけを取り上げれば、農民経済の余剰を工業化の原資にあてるという経済的内容は、それ自体は外的環境に強制された選択の余地のない政策である。
実際、左翼反対派を壊滅させた後は、スターリン自らプレオブラジェンスキーの経済政策を表面的にまねる以外経済運営のしようがなかったし、戦後、政治的に独立した新植民地主義体制諸国で、ロシアをモデルに工業化を推進した国は枚挙にいとまがないほどである。
こうした点から、ノーブのようにスターリンの工業化あるいは農業集団化を「必要悪」とする意見も出てくるが、われわれはこうした意見には賛成できない。
スターリン主義が一定の工業化に成功したと言っても、実際には党・労働組合・ソビエトの民主主義を圧殺した政治的基盤のうえに、労働者と農民からの強収奪を原資に充てて工業の量的拡大を成し遂げたにすぎず、生産性つまり単位時間あたりの生産高はソ連では一貫して低下し続けたのである。スターリン主義圏においては、狭義の生産性一般に還元できない環境問題も非常に深刻だが、スターリンの工業化や農業集団化は、帝国主義の農工業にたいする社会主義の歴史的優位性を示すものではまったくないのである。労働者・農民からの徹底した搾取・収奪を原資に用いて工業化を成功させた、という点だけとれば、日帝や南朝鮮の朴正煕軍事独裁政権と大して違わないであろう。
われわれは、プレオブラジェンスキーがスターリン書記局による人事の任命制に一貫して反対し、党内民主主義を擁護してたたかった点に注目したい(E・Hカーなどを参照)。先進的工業部門と後進的農業部門とがいかにして有機的な経済的連関を結びうるのか、というテーマは、やはり党・労働組合・ソビエトの民主主義がどれほど徹底しているのか、ということと一体でしか検討することはできない。
社会主義の帝国主義にたいする優位性は、単に生産の量的拡大にあるのではない。帝国主義やスターリン主義では、生産性の向上はひたすら資本の利潤蓄積あるいは工業生産の量的拡大に利用されるが、しかし、社会主義の本質は、労働者・農民をはじめとする全住民の生活水準と福祉の向上のためにこそ生産性の向上すなわち労働の節約が追求される点にある。こうした社会主義の本質がどこまで貫かれているのかは、権力を掌握した労働者階級がソビエト民主主義を通じてどれほど社会的に結合しているかにかかっているであろう。
工業化においてスターリンと反対派の違いは単にテンポの違いだけだ、とよく言われるが、「テンポの差」と言われることのなかに、まさにソビエト民主主義の内実が表れており、ここにこそ革命と反革命とを分かつ境界線があると考える。
プレオブラジェンスキーが提起した論点は今日でも大きな普遍性をもっている。たとえば中国スターリン主義は、59年「大躍進」の失敗を「改革・開放」路線で取り戻したように見えるが、結局農民と労働者の低賃金労働を原資に工業の量的拡大を成し遂げたにすぎないのである。この点は崩壊したソ連スターリン主義と何ら変わりなく、内的崩壊はいずれ不可避であろう。
いずれにせよ、スターリン主義の汚濁の中からロシア革命を復権し、現代へと継承するためには、反対派が壊滅した27年の時点にさかのぼって当時の最先端の内容を全面的に再検討することが必要であろう。
(2)現代帝国主義の下での革命を展望した場合、プレオブラジェンスキーが提起した内容は、ある面では逆転し、ある面では同じ位相をとってあらわれる。
一点目。当時のロシア帝国主義に比しても、日本帝国主義ははるかに進んだ工業設備を有する世界有数の工業国家である。プレオブラジェンスキーは"革命が生じた国の経済が後進的であれば、社会主義的蓄積にとって前社会主義的な生産関係からの所得控除に依拠する割合が多くなる。工業化が進んだ国ではその逆である"と論じているが、日本はまさに後者に該当する。社会主義的蓄積を行う場合、社会主義的国営工業からの所得控除にもっぱら依拠して再生産を組織し、むしろ農村に再分配することが可能だし必要でもあるということである。
例えば日本では、治水、電気、道路、農業機械、流通など、農業自身が巨大な工業力を背景とし、これを前提しない限り成り立たなくなっている。EUでは予算の4割が農業補助に使われているが、寄生虫のように農業とその周辺産業にまとわりつくブルジョアジーを排除し、食糧を軍事的戦略物資として扱う必要がなくなれば、われわれはいかなる帝国主義よりも効率的に農業部門を援助することが可能となろう。農村の食糧供給に依存しなければ労働者権力が1日たりとも延命できない以上、こうした政策は労働者階級にとっても不可欠であろう。
もう一点。29年以降の国家独占資本主義体制が、食糧安保政策の観点から帝国主義本国の農業部門で一定の農民「保護」政策−「保護」というより帝国主義本国の農民収奪体系といった方が正確かもしれないが−を展開してきたのに比して、現代の多くの新植民地主義体制諸国においては、かつてのロシアや中国がそうだったのと同様、地主の大土地所有とたたかって農民が農民になることがまさに革命のテーマとなっている。こうした国々ではたいていの場合、農村地域は未開発のまま取り残されており、地元が消費する食糧の生産は顧みられることなく、帝本国の農民が生産した食糧の購入を強いられている。農村の換金作物生産あるいは鉱物・水産資源の輸出によって生み出された余剰の大半は、国際銀行資本への債務返済に充てられ、生活水準は生きるのがやっとというところも多い。例えば中東産油国は食糧を自給できないため、石油代金で帝国主義から食糧を購入しているのが現状である。
中村医師のペシャワル会がひたすらアフガニスタンの農村で井戸を掘り、灌漑用水設備を建設している事実からわれわれは襟を正して学ばなくてはならないのである。アジアと世界から食糧と原料が供給されなければ日本の工業力がまったく稼働しえない点を考慮すれば、プレオブラジェンスキーが定式化したロシア革命の課題は、こうした新植民地主義体制諸国との関係でストレートにわれわれにも課されるのである。
いずれにせよ、社会主義建設は、最先端の工業部門を労働者権力が占有することを基礎として、広範な前社会主義的生産部門あるいは農民経済を包摂しながら進むのであり、比重の差はあれ、その過渡期政策の指針はプレオブラジェンスキーがほぼ体系的な形で網羅しているといってよい。
清水・安田中央派は、革命当時ロシア国内人口の8割が農民で占められていた事実を最近やっと思い出したようである(「前進」2402号丹沢論文)。清水・安田派「第2次綱領草案」も「労農同盟の重要性」を無内容に叫んではいるが、いかんせん帝国主義論を放棄し、金融資本的蓄積様式論が欠如した彼らには労農同盟を論じる主体的根拠が蒸発している。そもそも「農業・農民問題とは何がどう問題なのか」を一言も論じることができないのである。民族問題に至っては「労働者が国境で分断されている」問題だというのだから、彼らが認識する世界には農民など存在しないと言っているに等しい。
清水・安田中央派を粉砕し、10・11三里塚全国集会に総決起しよう。労農同盟の力で帝国主義を打倒しよう!


要約T
プレオブラジェンスキー
『新しい経済―ソヴィエト経済に関する理論的分析の試み』(1926年)


【1】序文―ブハーリンが「過渡期経済」には価値法則が止揚され、労働支出原則で経済が組織される、という一般論でプレオブラジェンスキーを批判した内容を契機に、筆者は自説の概略を展開。
要約―資本主義国よりもはるかに進んだ社会構造を持つソビエト経済だが、その経済構造はきわめて後進的である。工業製品は生産設備が時代遅れなために世界市場よりも2倍も高価であり、農村では人口の8割以上が奴隷制度以来の農業技術で生産している。価値法則にもとづいてソビエト経済が組織されれば、外国の安い工業製品に駆逐されて国営工業はたちまち破綻するだろう。工業が維持され、拡大再生産を実現しているのは、世界市場に比して割高の工業製品を国内の農民に売ることで古い設備を減価償却しつつ、農産物を輸出した代価を収税して先進的な生産設備を海外から購入しているからである。この経済過程はソビエト経済と商品経済との不断の闘争に基づいている。例えば対外貿易の国家管理、市場の閉鎖など、国家の実力によってソ連の工業は防衛されている、ということである。
【筆者は、ソ連工業を蓄積していくうえで、どの程度農民から国家が徴税し、どの程度工業分野で蓄積(原料・設備の更新、導入)すべきなのか、両者のあいだの最適の比率が一定の法則性にもとづいて存在するはずだ、という推論から、蓄積速度を決める最良の比率を「社会主義的原始蓄積法則」と名づけ、その究明を提起している。】

【2】社会主義的原始蓄積法則
▼商業資本が産業資本に転化する際、産業資本は国家権力を利用しながら、前資本主義的な生産関係からの収奪による蓄積を行った。これにはさまざまな水路があったが、例えば仲買人による独占を通じた小生産者の収奪、国家権力の徴税を通じた軍事産業への投資、植民政策による現地住民からの収奪、あるいは農民兵士の犠牲にもとづく領土や貿易ルートの奪取、公債の発行、などが含まれる。「封建的生産様式の資本主義的生産様式への転化過程を温室的に促進して過渡期間を短縮するためには、いずれの方法も、社会の集中され、組織された暴力である国家権力を利用する。暴力は、新しい社会をはらむすべての古い社会の助産婦である。「それ自体が一つの経済的な力なのである」(マルクス)。
労働者からの搾取と小生産(農民)の犠牲による予備蓄積がなければ、資本主義への移行は大変のろのろしたものだっただろう。社会主義もその始動期においては農村の剰余生産物あるいは手工業の剰余生産物の一部を収用することなしに、あるいは社会主義工業のために資本主義的蓄積(利潤)から徴税しなければ、国営経済の運営は不可能である。まして、資本主義的に遅れたロシアで、内戦で国内経済が徹底的に破壊された後では、なおのこと前者からの収奪なしには工業は立ち行かない。国営工業の剰余だけを蓄積に回すならば、戦前レベルの工業生産を回復するのでさえ、とてつもない時間を必要とするだろう。収用される農民、資本家は、資本主義的蓄積を実行しながら、他方では社会主義的蓄積の中継者となる。
社会主義でも公債は重要な集積のテコとなる。一つは、強制徴収(経済外強制)の意味が強い割当債。もう一つは信用操作にもとづく公債。イギリス資本から年利7%、30年賦で借りれば、国外資本によるソ連の労働者農民の搾取を国家が仲介する意味をもつが、一方ではソ連国内の公債よりも社会主義源蓄に強い刺激をもたらす。別の方法として、減価を前提に紙幣を増刷するのも国家による課税の一種である。これも労働者・農民からの収奪の一種である。資本主義では鋳貨切り下げ・紙幣増刷という手段が広範に用いられたが、チェルボネツ以前のソ連の貨幣制度も似たような側面を持っている。
また、経済的な関係の枠内でも、イギリス本国と植民地との交易のように、労働の不等価交換に基づく搾取が成り立ちうる。
▼さて、社会主義的蓄積においては、これが独占資本を前提・土台として出発するがゆえに、資本主義黎明期になかった諸手段―経済全体を調節する、あるいは国民所得を再分配する手段―とを有する利点がある。
例えば鉄道の運営は一元的に国家が握っており、その運営が黒字化した暁には、私営企業より国営企業に有利なように運賃体系を手直しすることができる。これは価値法則への一大打撃となる。
第2に銀行制度の国家独占。これも、貸付金利が資本主義的条件よりも高く、預金運用がとるに足らない現状では奇異に聞こえるかもしれないが、少なくともソ連国営銀行は紙幣発行、チェルボネツによる貸付金運用が可能となっている。つまりチェルボネツ貨幣を発行したのと同額の国内商品価値を「流通面から借り上げる」ことになるのであって、国営・私営いずれからも「借り上げた」資金を国営企業に充当することは可能である。また、私営の預金を高利で私営企業に貸し出し、その差額を国営企業の蓄積フォンドに追加することができる。特に外国資金の借款が可能となった場合には、農民信用組合を通じた資金運用が私営部門から社会主義経済へと資源再分配する重要な手段となろう。
▼資本主義源蓄では、商業独占による小生産者からの収奪が重要な役割を果たした。
ソ連経済ではどうか。@国営・国営の取引―流通過程の節減が目的となる。私的買占め業者は、国営トラスト間の取引にもぐりこみ、そこで「流通費」をかき集めてきたが、国営商業の合理化によってこうした吸血虫どもは組織的に排除される。
A私営・私営の取引―これは社会主義蓄積のフォンドとなりうる。例えば「フレボプロドゥクト社」(全ロ穀物農産物販売株式会社)が農民から買い上げた穀物を都市で販売して利潤を得ているが、これは私営部門(農民、手工業あるいは私営企業従業員)からの所得の控除である。【筆者はここで、国営企業のフォンドが不足している時に、国営商業が農民に有利な取引をすることは、社会主義的フォンドから私営農民に贈与しているのと同じだ、とスターリンの経済政策を非難している。】(26年時点で)私営商業は国営商業よりも優位に立っており、国営商業の合理化が課題となっている。資本の不足、国内商品流通の増大という現在の条件下で、商業利潤は巨額に達しているため、国営商業の強化は決定的なテーマである。
B国営・私営取引―国営→私営間の商品流通で卸値10億ルーブルの製品が小売15億ルーブルでさばけた場合、国営企業の生産した15分の5が商業資本に移転されたことになる。商業が国営なら5分の4を国営企業に還元することが可能となるが、私営商業ならこれは回収不能である。
私営→国営の商品流通の場合。工業原料を農村から買い付ける場合(綿その他)、農民からの買付価格と国営トラスとへの販売価格の差額は、農民経済からの所得の控除である。国営商業が流通を担えばこの差額はすべて国営部門に還流する。【この節末尾は難解。】
次に外国貿易。これは社会主義的蓄積の最重要の手段・またその過程を資本主義経済の価値法則から保護し・ソ連経済全体を調節するテコ、となっている。
貿易の国家独占は、農産品の輸出が増大するなかで、小生産を国家に依存させ、外国市場で超過利潤を獲得する重要な手段となっている。例えば、亜麻・プラチナ・毛皮などは世界市場でもソ連国営経済が独占状態にある。純理論的には、国営商業が農産物を国外に輸出した場合、農村からの所得控除はすべて国営部門に入るが、現時点では国営商業があまりにも非効率なため、純利益が出ない状態にある。それでも、商業網を国家が握っていること自体が、社会主義的蓄積の一環と言えるのである。
関税政策。国営工業向け生産手段の輸入に関税をかけても、部門間で資金を再分配するだけ。しかし、私的企業の生産手段および消費財への関税は、私的企業の固定資本フォンドからの控除あるいは大衆所得からの控除を意味する。
▼基本法則。革命が生じた国の経済が後進的であれば、社会主義的蓄積にとって前社会主義的な生産関係からの所得控除に依拠する割合が多くなる。工業化が進んだ国ではその逆である。
▼資本の原蓄期には、暴力は補助的な役割しか果たさず、同じ生産物に少ない労働しか付与されていないという経済力が前資本主義的な小生産者を駆逐した最大の動力だった。これに比して、ソ連工業は同種の西側資本家的企業に比べると、技術装備の点で劣っており、同じ土俵で競争すれば破滅する以外にない。例えばソ連の織物工業はイギリスより15年遅れており、冶金工業(ウラル地方)のそれはガラクタ同然である。
しかし、ソ連経済が優位を持つ点がある。それは国営企業がまさに国家的に組織されているという、組織の力である。また、国営企業が国家と融合している点も強みである。
「戦時共産主義政策の廃止後における外見上の自由競争は、国営企業活動の規律粛正および合理化のための教育手段にすぎず、決してそれは…旧い生産様式との相互関係の形態への復帰ではなかった」
しかし、いくつかの点で社会主義的経済が不利なのは、資本主義がその人的素材を完成した形で揃えているのにたいし、ソ連では特殊な社会的な型としての「国営経済労働者」はその端緒についたばかりで、新しい経済制度が旧い人々に依拠しなければならない状態にあること。旧い型の人材登用に伴う不経済、乱用、その他の損害は大きい。もう一つに、特に商業部門で、私営企業は企業主自身をも含む激しい労働搾取によって営業しており、厳格な労働保護にもとづいた国営商業はこれにたちうちできない。これでは流通諸費用の節減が進まない。

【3】ソビエト経済における価値法則
▼社会主義的蓄積を進めようとする傾向にたいして、ソ連経済の商品諸要素の総計と、ソ連を包囲する資本主義世界市場の影響の総計とが集中される形で、歴史の歯車を逆転させようと務める価値法則という名のわが国の過去がソビエト経済を圧迫している。
▼経済学を学ぶ若い諸君は、資本制生産の下では、商品や価格の運動という物象化された形で資本家と労働者、地主とのあいだで、またそれぞれの階級内部で剰余価値の分配が行われ、あるいは生産諸部門の生産力の配置があたかも外的自然力の力が作用しているかのように行われる。これが価値法則である。これは商品価格とそこに含まれる価値との乖離をバネとして行われるわけである。人と人、人と物との関係が商品生産の下では資本や商品という物象化された形で表れ、これらを経済学の範疇と呼んでいるが、往々にしてこれを学んだ時に、頭の中で物象化されて転倒した世界が転倒したまま、人と人・人と物との関係が正立しない人が多い。こういう諸君は、ソ連国営経済が商品市場に向けて生産している点をもって、あたかもソビエトが国家資本主義社会であるかのように曲解する人が多い。
▼帝国主義段階に推移し、資本がトラスト、シンジケート、カルテルなどに組織され、銀行・国家の諸力と結びついたことで、自由競争は片隅に追いやられ、価値法則は従前どおりに貫徹しなくなっている。戦時統制は産業のあらゆる部門におよび、労働者階級が権力を握ることで社会主義的計画経済が可能となる客観的条件を生み出した。戦後突出したアメリカ帝国主義はその技術的優位によって物価体系・価値関係をヨーロッパと全世界に強要しており、旧いヨーロッパはこれに保護関税などで対抗しているが、資本主義である限り価値関係の強制から逃れることはできない。
▼小生産と資本とが密接に関係しているアメリカ農業に比べても、ソビエト経済では国営経済の経済的・技術的後進性によって交換と信用の面で2200万の小経営(農民、小企業、商業)との有機的関係が極度に弱い。そのため、国営経済では価値法則が大いに萎縮しているにも関わらず、その範囲外では価値法則が著しく作用し、国営経済全般がこれによって打撃を受けている。

(1)商品、市場、価格
▼転倒した経済学的な諸範疇は、ソビエト経済においては、商品生産が社会主義的計画に、市場が社会主義的簿記に、価値と価格が生産の労働費に、商品が生産物という形で置き換わる。
生産手段。例えば交通人民委員部が金属工業局に機関車などを発注した場合、その価格は国内市場ではなく、計画的計算によって、所属工場の生産費の水準に応じて調整される。世界市場は、われわれが国内価格と外国価格を比較し、国内の生産費を外国より低く引き下げるべく努力する点で刺激を受ける、という形で影響している。この場合、世界市場の圧力は、単一組織としてのわが国営経済機構全体に加わる。あるいは鉄道設備の国内生産が不十分で一部を輸入に頼るという場合にも世界市場の圧力がわれわれに加わる。(ただし、価格が市場関係にまったく影響を受けないとまでは言えない。あまりにも運賃が高い場合、人民は馬車輸送に頼ることになる。)
紡織機械製造工業の場合。もし工作機械を海外から安く輸入できる場合、われわれは他の必要な部門に資金を回せることになる。ただしこの場合でも国内の工作機械は世界市場価格にもとづいて決めるわけではないから、工作機械の価格に影響するわけではない。われわれは社会主義的保護貿易の障壁の下で、馘首の大選手団を国営経済全体の経済的合目的性という簡単から維持・発展・新設する。あるいは国内で全く生産していない工作機械を輸入する場合は、われわれの蓄積規模に影響するか、消費財の価格に含まれる減価償却分に影響を及ぼすだろう。また、価値法則はソビエト経済の労働分配の一要因としても作用することがある。世界市場の価格水準と国内の機械製造工業の発展具合を比べて、国内生産の維持が合目的的でない部門における生産手段の生産を抑制・縮小・中止せざるをえない場合である。ただしその場合でも、国内生産の改善と生産手段生産全般の比較計算を下に決定が下されるのであって、これは例えば、年間3億ルーブルの設備を輸入できるとしても、設備更新全体の適正度という観点から1億ルーブルだけ輸入し、5千ルーブルは国内生産の拡張に振り向け、1億5千万ルーブルは市況が安くなった時のためにとっておく、という選択をとりうる。この場合、価値法則は経済計画全体の利益のために完全に歪められている。こんな例は資本主義的再生産の条件のもとでは原則として全くありえない。
次に国家が独占的生産者あるいは独占的買手でないような生産手段の場合。
例えば農業機械は、農民に有利なよう価格が設定されており、国営企業に赤字になる場合もある。灯油、燃料なども農民市場に多大な影響を受けている。消費者ストライキなど。こうした場合、価値法則が国営分野の蓄積規模だけでなく、生産力分配、労働力分配にも影響を及ぼす。競合企業があるわけではないので、需要減退と購買の全般的拒否という形で国営生産に圧力が加わるが、その実例は1923年秋に見られた。他の例では、農村から購入する原料は国家が買い付け価格を決定しているが、その上限は市場価格によって制限される。国営企業が海外市場より高い値段で亜麻を国内で買い付けても意味がない。またその下限は、農民の作付け変更が生じない範囲に制限される。ライ麦から綿作に作付けを変更させるためにトルキスタン地方当局は骨を折ったが、そうしなければ今でもトルキスタンの畑には今もライ麦が植えられていることだろう。上限と下限の巾はかなり広く、おそらく世界市場価格の30〜40%下回るぐらいの許容巾がある。そういうわけで、国営企業に替わる海外や国内の買手がいると想定した場合の価格よりも、原料価格はかなり低い。まして供給よりも需要が上回っている時に価格引下げすら断行する(25年に亜麻と綿花で実行された)のを見れば、われわれは計画化原則による価値法則の制限の輝かしい一例を見るのである。
他方、国営企業と並んで農村内部で買付・加工が大量に行われている皮・羊毛などの原料では、国家の公定価格よりも農村私企業の方が高い値段をつけるなどして国営企業の価格への影響力は著しく弱まる。これに対抗するには国営企業がよりやすい羊毛・皮革原料を生産するしかないが、その成否は全戦線での蓄積がどれだけ進むかにかかっている。
消費手段―これは生産手段に比べると、@生産・販売における私営生産の競争の役割がより大きく、A原料価格の変動面から価値法則の影響が大で、B国営生産の有効需要より私営経済の需要にたいする依存度がより大きく直接的である、C小売価格に及ぼす需給関係の影響もより大きい。例えばパン、ソーセージ、水産加工品、ビール、ウォッカ等々。精糖は国営が優勢だが、製粉は私営生産が強い。皮革・羊毛・木材・大麻の加工、衣服製造も小生産の役割が大。
国家が原料の大半を私的生産あるいは海外からの輸入に頼る場合、価値法則の作用を受ける。
また有効需要の面では、国営企業製品が高ければ、農民は旧い犂・鍬を修繕して使うだろうし、衣服、靴、食品なども自家製造に戻るだろう。しかし大工業の生産性が向上すればこうした迂回は困難となる。
商品欠乏の場合。価値法則では価格が高騰して新たな資本が流入し、生産手段と労働の再分配がなされる。しかしソビエト経済では不均衡を解消するうえで国営工業の需要の水準まで計画的に拡張する以外にない。それでも国家の反応が鈍くて商品が欠乏した際には小売価格急騰が私営商業全般で起こる。1925年には40%もの価格上昇が生じた。協同組合は市場の圧力を受けて国家の策定した小売マージン加算限度を守れなくなる。価値法則が国家の計画的な固定価格政策を修正させる。ただし、価値法則ははなはだ歪曲されているので、小売価格を上昇させることはできても、これを通じて工業面での生産力再分配を行うほどの力はない。指摘商業資本は暴利をむさぼるが、これが生産には影響しない。
○農村生産物への国家の価格政策の影響
農民の生産物28億5700万ルーブルのうち、国営企業は原材料として6億3140万ルーブル(24−25年度)すなわち22・6%とかなりの割合を買い付けているが、それでも全量ではなく、一部でしかない。商品化穀物総量8億3370万プードのうち都市市場と輸出が吸収したのは僅か3億570万プード(24―25年度)にすぎない。ここでは価値法則の影響はどうなるだろうか。
国家は信用と交換という経済調整手段を持っているが、信用制度で農民に影響を及ぼすことは現在の状況ではありえない。交換という点からは、国家は国内都市消費者の大量購買者であり、穀物、バターその他食料品の外国貿易を独占している点で有利である。しかし、ここでの価格政策も生産手段と同じく制限される。売り出される穀物価格は世界市場に規定されるし、あるいは地主がいなくなって個々の農民が抱える余剰が増えたため、余剰穀物を消費あるいは家畜飼料に回すことで農民が穀物を処分するにあたって国家調達に依存しない選択が増えている。とはいえ、食品加工には多くの資本投資を必要とするし(ベーコン工場、冷蔵施設など)、あるいは余剰を国外へ輸出することになるわけだから、結局農民の余剰増大も国家の調節能力を高める方向に作用する。
農民相互の交換面では国家の調節機能はもっとも弱い。穀物を買う農民世帯はきわめて多く、5億2800万プードにのぼる(24―25年度)。農民相互の穀物市場価格にも国家の価格政策は影響するが、穀物を買っているのが貧農層であり、彼らは富農、クラークに従属した立場から種子あるいは食料を富農から得て自らの労働を提供している。農村の労働力過剰が著しい点からみて、彼らの買う穀物価格は甚だ高価で、ここには農村の搾取関係がある。
さらに、農民相互間における役蓄売買、家内工業・主工業製品の取引では完全に価値法則が支配している。

(2)剰余価値、剰余生産物、賃金
▼ソビエト経済に剰余価値が存在するのか、という議論があるが、ソビエト経済にあるのは剰余生産物である。
剰余価値の理論的前提を整理すると、剰余価値が存在するためには、生産物一般が市場向け商品として生産されており、なおかつ労働力市場が存在することが必要である。すなわち、労働力のみを商品とするプロレタリアートと、生産手段を所有するブルジョアジーとの階級関係の存在が前提である。なおかつ、生産力の発展が、労働者階級の生存費以上のものをつくりだしていることが必要である。奴隷制経済では剰余生産物は主人の消費手段の生産にのみ向けられ、剰余価値としては存在しなかった。農奴制経済でも、領主の消費手段を生み出すための賦役が搾取の中心手段であって、ここでも剰余価値は支配的でない。資本主義経済でもって生産物一般が商品の形をとり、生産物が価値に転化し、剰余生産物が剰余価値に転化する。この時初めて搾取の目的は剰余価値の組織的な捻出となる。資本主義への過渡的段階として、買占め業者目当てに仕事をする家内手工業者の作業があげられる。彼らは独立生産者という表面的な属性は残しているが、すでに本質的には賃金労働者となっている【重要。帝国主義段階の二重構造に通底する論点。この「家内手工業者」の残存と独占による収奪】。
次に、ソビエト経済で剰余価値はどのようになっているのか。
○剰余価値の第一の条件―生産物の商品への転化。
資本主義の下でも資本の有機的構成の高度化という形で、生産手段の生産が占める比重が経済全体に大きくなるが、ソビエト経済で生産手段の生産は国有化されており、生産物の半ばは農民市場に向けた商品として、半ばは国営企業間での生産手段の配分のために、生産されている。農民経済が発展して生産物が商品化される傾向が強まるのに反して、国営企業での生産はますます商品形態をとらなくなっている。剰余価値の形態は、社会主義的関係の発展によってますます萎縮する方向に向かっているといえる。
○剰余価値の第2の条件―2階級の搾取関係。
すでに生産手段の資本主義的所有は廃止されており、生産手段は国家として組織されたプロレタリアートの手中にある。この点がまさに核心的である。
たしかに労働者のなかにも管理的職務に携わって比較的高い賃金を得ている労働者とその他労働者の分裂は存在する。だが、これは同一階級内部の分裂であり、熟練労働者と未熟練労働者の分裂に対応しており、資本主義の遺産として受け継いだものである。この分裂は、労働生産性が向上し、大衆の文化的・技術的訓練が進展し、新しい教育制度が定着し、指導・管理分野での労働者民主主義が発展し、保守主義と停滞にたいする闘争を基礎として進む時、必ず解消される。階級内部の分裂は、固定化した職業的区分の消滅、科学と労働との分裂の消滅と同じ歩調で消滅していく。幹部要員および職業的分裂の固定化は、生産力成長の停滞または緩慢の結果なのである。むろん、われわれの賃金等級は社会主義に共通なものではなく、あくまでもブルジョア的な遺産であり、ブルジョア的な労働刺激の適用である。これは長い再教育を必要とするが、それでも、赤色支配人、プロレタリア技師、プロレタリア経営者などは、生産手段の独占権を有しているわけではなく、労働者国家の勤務者なのである。ここに、資本主義的生産関係との原則的相違がある。ここに、社会主義建設初期になおも残存する各種の報酬・責任の分配制におけるブルジョア的特徴を克服する前提条件がある。
○それでも搾取関係が完全になくなったとは言い切れない。それを分析する。
1)剰余労働の一部は、専門家への報酬として与えられている。これは新しい教育制度の未発達の結果である。 2)剰余生産物の一部は、私的資本の商業利潤の形で搾り取られる。資本家にとられる剰余生産物の比率としては最大をなす。
3)国内債の利子で、農民層、ネップマン、都市小ブルジョアジーが受けとる部分。さらに旧外債に対して支払われる可能性のある現金および利子、新規発行外債の利子。
○どの程度国営経済労働者の労働力が、労働市場で売られる商品として現われるか?
yesでもありnoでもある。
まず、国営企業労働者、ソビエト職員の数は私営農業・商業・工業の雇用者ほど多くない。また、平均的労働者の家計のうち半ば以上が私営生産とくに農民生産による消費財購入にあてられており、労働力の再生産過程そのものが商品経済と密接に結びついている。
しかし、国営経済の労働者についてみれば、この過程は労働力が商品として現われる過程の解消の始まりでもある。資本制では労働力の価格は労働市場の需給関係が大きく影響するが、社会主義経済では賃金フォンドの総額は蓄積の度合いによって調整されており、ただ賃金等級の格付けだけが熟練・未熟練労働の需給関係で決められている。
ソビエト経済の著しい特徴は、未熟練労働者の賃金が労働市場とは無関係に著しく上昇していること。未熟練工の賃金増大はネップとともに始まったが、これはもっぱら生産性の向上と蓄積テンポの増大によるところが大きく、失業者が増加しているにも関わらず生じたのである。
○出来高払い賃金をどう考えるか。
現在、ソビエトではマルクスが「もっとも資本主義的生産様式にふさわしい賃金形態」とした出来高払い制度が普及している。戦時共産主義でわれわれは賃金固定制を実施したが、個人主義的、小ブルジョア的な労働刺激をたちまち失わせてしまい、完全な不成功に終った。次に実施した集団供給・集団報酬制が過渡的にかなり大きな成功を収めた。現在は、技術的な条件のために日給制・月給制をとれない場合に出来高払い制が普及している。技術発展―運輸、電化などが出来高払い制の可能な労働分野を縮小させている。いずれ「労働者集団」にたいする賃金支払いへと移行するだろうが、労働者クラブ、託児所、子供の家、工場食堂など、多数の社会的施設の増加もその本質において、旧い賃金制の一部が集団供給制の一つの形態に転化しているのである。
○剰余価値の最後の条件―剰余生産物そのものの存在。
これは戦時共産主義期におけるある部門では存在すらしなかったが、それはさておき、ソビエト経済で国営工業労働者層の需要を満たした後に積み立てられる蓄積フォンドを剰余価値と呼ぶべきかどうか。マルクスが「剰余価値」という用語を用いたのは、搾取概念のすべての要素が古典的な形ではまだ含まれていない搾取関係について、労働力の資本主義的搾取形態という方向にのみ発展する生産関係を想定したからであった。社会主義的拡大再生産の過程で、剰余価値範疇の要素にたいして剰余生産物の要素が次第に優勢となるソビエト経済では、「剰余生産物」という用語を用いるのがやはり正しいであろう。
最後に、拡大再生産を規定する要素は、労働者の賃金増大とは矛盾する。労働者の賃金が労働力の価値を上回る偏差を生じれば、労働者文化の基礎を築くのではあるが、拡大のペースは遅くなる。そもそも「社会主義的原始蓄積」の「蓄積」という用語自体が、「社会主義」とは相容れないのだが、両者が結びついている点にこそソビエト経済の現実の二重性が現われている。〔→重要な指摘。そもそも「蓄積」というのは拡大再生産の資本主義的に転倒した概念。「交換価値の蓄積」ということなのである。〕

(3)国営経済における利潤の範疇
▼資本制では等量の資本にたいする利潤率の均等化が、各生産部門間の生産力分配に大きな役割を演じる。国営経済でこれと同じ機能を果たしている調節手段は何だろうか。
資本制の下では、企業が営業年度始めの時点で、すでに決定した受注数量をどれだけ生産が上回ることになるのか、原料価格、労働市場の変動、自社製品の販売価格がどう変動するのか予測できない。したがって利潤率も知りえない。新しい競争者が原料価格を引き上げたり、販売価格を崩したり、労働者が1ヶ月もストをやるかもしれない。決算してみると、年度内にある部門には必要以上の資本が投資されて利潤率が低下していたり、またある部門では利潤率が急騰しており、投資が不十分であったことがわかるかもしれない。
国営経済では事情がまったく異なる。ゴムザ(国営機械工場連合)は自らの生産計画を知っており、すべての注文主もこの生産計画を知っている。金属原料の価格は国家が決めているので、予測し得ない原料価格の急騰は生じ得ない。利潤および利潤率均等化手段の本質が変化する。各ソビエト・トラストはその5分の4まで、営業年度の始まる前に、生産計画の形で収支計算を行っている。この規格化によって、種々の価格とそれに応じた利潤率は、生産力分配の調節力としての性格を失う。これはもはや資本主義的な意味での利潤率ではない。
○では、ソビエトでは新たな資源、生産要素をどのようにして新しい生産部門に投入するのであろうか。
資本主義では、既存の設備に簡単に追加投資ができない場合、剰余価値は株式投資の形で新しい産業建設に利用される。ソビエトでも多くの国営企業が株式会社として運営されており、各種の国家施設が株式募集に応じている。だが主として新規資本の基本的な分配形態は、国立銀行や国家予算を通じて行われている。そもそも国営工業・運輸、その他新建設事業などの拡大再生産過程が計画的に進んでおり、資金調達だけが自動的、自然発生的な形で進むことはありえない。株式による資金の分配調整は、生産がじゅうぶんに社会主義的に組織されていないことの反映である。
○利潤率均等化法則は、資本の有機的構成に関わりなく、各単位資本が産む剰余価値量の相違に関わりなく、各種生産部門間の労働分配に関する必要比率を確保させる。生産価格法則の作用がなければ、資本主義経済の各部門における再生産は不可能である。
わが国営工業では事情が異なる。1)国営企業の利潤は資本家の消費フォンドと蓄積フォンドに分割されない。2)われわれは生産計画に基づいて蓄積フォンドの量をあらかじめ定め、どれだけの部分を国家予算でまかない、どれだけの部分を価格政策を基礎として調達できるかを決める。各トラストの任務は、各自の利潤に基づいてこのフォンドを賄うことにある。ここには、生産価格法則の替わりに価格政策―国営経済全体のために一定のフォンドを毎年獲得せねばならないという任務に規定された価格政策が存在する。

(4)地代の範疇
ソビエトでは土地が国有化されており、純資本主義的な取引で売買される土地はごくわずかである。土地の肥沃度に応じて差額地代を取上げたい、という税務当局の要求があるが、資本主義的な地代はソビエトには存在しない。地代という形式は資本主義以前から変わっておらず、これが資本主義的な意味での地代となるには膨大な前提事項が必要となる。ソビエトにあるのは、実際には国家財源の一分配形態にすぎず、これが資本主義社会の関係の形をとり、形態と用語をそのまま引き写しているだけである。
小農にたいする所得課税の本質は、地代とは何の関係もなく、国家の利益のために小生産の剰余生産物部分を収用することである。本質的に手工業や家内工業に対する課税と原則的に異なるところはない。

(5)利子、信用制度
農民を絞り上げて破滅させる高利貸は今でも問題であるが、これは資本主義的な利子とは関係がない。
・国営企業・銀行から私的資本が借り入れる場合、その利子は私的資本から社会主義的部門の蓄積フォンドとして移転する、ということ。
・公債に応じる農民、小生産者への利子支払は、国営労働者が生み出す剰余生産物の一部を私的部門に移転することである。
・農民が公債を買うことで得た資金を国家が農民経済の改善のために用いるとすれば、これは私営経済のために私営経済の資源を再分配することである。
・国営経済の労働者・職員が公債に応募し、その利子を受け取るとすれば、これは消費を節約した分を拡大再生産に回し、その報奨金として剰余生産物を後日受け取ることであって、前期分配関係とは関係がない。
・国営企業が公債に応じる場合、これは新しい自由な国家資源の国営分野内部における再分配にすぎない。新しい資源の新しい分配方法を見つけ、組織的に再分配がなされるようになれば、「利子」の形態を模写した現在の形は消滅するであろう。
例えば、ある国営トラストが一定量の余剰資源を持っており、他のトラストがこれを必要としている。トラストは国営銀行からこれを借入れし、「利子」を払う。その源泉はトラスト自体の剰余生産物であり、国家のものである。「利子」を受けとるのも国家である。資本主義ではある資本家が資金を提供した別の資本家に剰余価値の一部を譲り渡すが、その分量は資金の需要供給によって定められる。わが社会主義国家は、あえて資本主義と比較すれば、自己資本で経営する、利子を払わない企業家の地位にある。もし資源分配が別の形をとれば―例えば、1中心機関とその支部から信用資源を分配し、手持ちの信用貸付フォンドの全額と、全企業が毎年加える剰余生産物をこの機関に集中するとしよう―、国営分野内部における生産関係の本質に何の変化もなく、利子は見事に消失する。現在の信用制度が資本主義的銀行系隊を模倣しているといっても、国営分野内部の関係で生じているあらゆることは、国営経済における資源の計画的分配の1変種なのである。
信用制度は国営経済の内部での信用はすでに新しい内容に満たされている。計画化と計算と管理は、もっとも完成し集中した資本主義的信用制度が到達しえる型のものよりもはるかに高度の型の計画化および計算である。
○国営経済と私営経済との相互関係では、事情が異なる。農村との関係では、国営経済は商品―貨幣分配制度しかとりえない私営経済の交換制度に自らを適応せざるをえない。この面では信用制度が大きな進歩的役割を果たすことが必要である。資本主義の銀行制度の方が、管理・警産・労働力分配組織として中世的で非組織的なソビエトの農民市場よりもはるかに高度だからである。われわれの信用制度がもつ牽引的な役割は、信用組合を含む農民協同組合に対する各種信用貸付の分野で現われているし、今後とも現われるだろう。例えば、商品信用、土地改良信用、農村融資のための国内公債発行制度、生産者前貸金など。
○貨幣について。
国営経済で生産関係の物象化が縮小し、透明化するのに応じて、貨幣関係は生産手段と消費手段に関する会計計算の性格を獲得するとともに、生産の自然発生的均衡を実現する道具の一つとしての役割を失いつつある。
しかしなお、貨幣物神崇拝は国営・私営経済の接合する面で今も大きな影響力を持っている。われわれは金本位制をとっておらず、当局が金を必要とするのは外国貿易を決裁する時だけである。にもかかわらず、チェルボネッツ紙幣相場が10ルーブル純金相場よりも下がることを財政当局は恐れ、不必要な金による干渉を行っている。その結果、ネップマンがチェルボネッツを金に交換している。資本主義では、商業恐慌期には金の流通を確保するために金を何倍する商品を犠牲にする。しかし、金の流通が行われておらず、経済関係、特に通貨関係の面で別の調整手段を有する国において、闇市場でチェルボネツ紙幣の相場を救うのは、資本主義のもっとも有害で非合理な調整機能を模倣するものだ。

(6)協同組合
生産と交換における価値報徳と計画化原則の闘争において、協同組合はどんな役割を演じるだろうか。
資本主義下の協同組合は価値法則に自ら適応する場合にのみ生き延びることができる。ソビエト制度内部の協同組合は不可避的に2つの基本傾向の闘争場裡と化しており、協同組合はどちらか強い方に適応しているにすぎない。
協同組合が農民の分散性に比べればはるかに組織性を示している点で、国営経済が優勢になれば協同組合もこれに融合し、農民経済との橋渡しとなるのが自然である。しかし、国営経済が弱体であれば、漂流する協同組合は自然発生的に小生産者を基礎とする協同化を開始して資本主義的で非組織的な傾向を強めるだろう。
労働者協同組合は本質的に国営分野内部の分配制度であり、別の分配制度であるが、大多数の協同組合は小生産を基礎としており、資本主義的関係を組織的に分泌している。国家は国営生産物に計画価格政策を取り、小生産から買い取る生産物に固定価格政策をとることで、価値法則に制限を加え、消費者協同組合はその商業網をつうじてこの影響に加わっている。しかし、経験が示すとおり、この種の協同組合は国営機関に比べて価値法則にたいする抵抗が弱い。国営機関との協定に違反して、卸売価格に付加する小売マージン限度を守らないし、国営トラストから「最恵待遇」で、しかも信用で仕入れた商品を私的資本に転売したり、固定価格による仕入れ操作を回避することも稀ではない。
それでも、分散した小生産の下では、協同組合は社会的組織の初歩的な色彩を帯びており、ソビエト経済の下では優遇されている。現在の消費者協同組合は、商店を管理する大衆組織というより、しっかりした主人のいない商店の段階にある。
しかし、仮に小経営の理想的な組織化がなされたとしても、小生産者協同組合の問題を解決するわけではない。現時点では、農村ではコミューン、コルホーズなどの国営農場よりもクラーク経営の面積の方が急速に増加している。この不均衡を変えるためには、根本的には農村内部から社会主義が発達するのを期待することに無理がある。結局、都市大工業のより強い影響を基礎としてのみ農民の協同化は可能なのである。例えば、電力の供給、トラクターの共同使用、酪農の販売などなど、社会化される各種作業を小経営から引き離し、協同化していくことだ。
都市が信用供与を通じて農村経済に影響を与えうるのは、農民に与える在庫商品の蓄積がある時だけである。農村での生産協同化に最大の刺激を与えるのは、農民経済向け生産手段の生産分野だけだからである。

【付録】

▼ブハーリンとの論争から、いくつかの論点。
・農民経済の発展には国家による長期信用が重大な役割を果たすが、その莫大な資金を得るためにも、資金の融通が最優先される工業部門で設備をまったく新しい技術水準で更新することが必要である。【この点を筆者は「社会主義的原始蓄積」と表現している。】1世帯に100ルーブル貸すとして20億ルーブルが必要だが、工業はわずか1億ドル貸すのさえ手に余り、私有資本の導入を広げなくてはならなかったのである。 ・ブルジョア大革命の初期にも、資本家は僧侶と結託した地主層と熾烈な闘争になり、ドイツなどでは両者の妥協が成立して、独特の形で地主層が資本主義的生産様式に適応していった(ユンカー層)。ソビエト経済もこうした過程と比較することが可能である。
・価格政策は、次の生産年度で追加投資を確保できないならば空論となる。私的資本に商業が握られている結果、商品欠乏下でいかに公定価格を安く抑えようとも、中間に介在する私的商業がボロ儲けするだけで消費者たる農村に安価な商品は届かない。究極的には、拡大再生産によって商品不足を解消する以外の道はなく、そのためにはソビエト国営経済の原始蓄積期を脱出する必要がある。あくまでも問題は価格というよりは生産の地点から見なくてはならない。価格引下げ政策は、蓄積すなわち次の年度における拡大再生産という結果を生まない限り、消費者向けの空言にしかならないのである。われわれは価格引下げから蓄積へ、ではなく、蓄積から価格引下げへと進まなければならない。
※実例―23−24年度の織物工業の総生産額は5億7千万ルーブルだが、織物工業は価格引下げによって4千万ルーブルの犠牲を払った。総生産のうち綿織物35%、毛織物27・6%、リンネル製品9・7%が農村に行き渡り、うち60%が貧農と中農が購入した。他方、更紗布地の卸売り価格にたいする小売価格マージンは24年4月1日31%、8月1日38・5%、12月1日44・7%。価格引下げにも関わらず、小売マージンは上昇し、零細商業の資本は価格引下げによる分け前をたんまりといただいた。拡大再生産のための蓄積が不十分な場合、あらゆる犠牲を払っても強行される価格引下げ政策の結果がこれであって、工業の蓄積が成功しなければ今後の価格の引き下げは問題にならない。
【プレオブラジェンスキーは「社会主義的原蓄期〕という表現のなかに、ソビエト政権が、ソビエトを包囲する世界市場の圧力にたいして技術的に遅れた設備で社会主義建設に着手している現実に加え、文化的にもヨーロッパよりも遅れている労働者層がこれを担っている点を含めて、「予備蓄積」という表現を用いている。そのメルクマールは、西側資本主義諸国よりも生産性において上回る点にある。
ブハーリンの反論は稚拙で低劣。積極的な主張は何もなく、ひたすら政治的にプレオブラジェンスキーの揚げ足とりで罵倒している。当時のトロツキー反対派を取り巻く雰囲気をひしひしと伝えている。】

要約U
アレック・ノーブ『ソ連経済史』(邦訳1982年 岩波、初版1969年)

▼ロシアの工業化は、革命前後をつうじて同じテーマを抱えていた。
ロシア工業は、その生産財(機械、原料、資材)を輸入に頼らざるを得ないが、その原資は農作物の国外輸出によってしか得られなかった。工業化政策をとったツァーリ政権は農村に重税をかけたが、他方、工業にとっての市場はロシアの農村以外になく、農村の貧困が工業化にとって障害をなすという根底的矛盾を抱えていた。ヴィッテの工業化政策。
▼1861年の農奴解放令は、必ずしも農民の解放を意味しなかった。税の支払いは相変らず農村共同体の単位でなされたため農民は自由に土地を離れることができなかったし、土地の購入に払戻金が必要なので自作農創設には必ずしも十分ではなかったのである。
自作農創設を完遂しようとしたのがストルイピン改革(06〜11年)。これによってヨーロッパ・ロシア(ウクライナなど)の経営24%にあたる200万戸が共同体を離れたが、14年の戦争勃発で改革は中断したと言われる。
しかしこの改革は地主と教会の土地には手をつけず、きわめて中途半端なものだった。ある程度裕福な農民が貧しい地主から土地を買い足して独立していったのであり、改革の結果はむしろ貧しい農民が土地を売り、都市に流れ込むことを助けただけで、農民の土地にたいする渇望は癒されることはなかった。
一方、農協は著しい発展を示した。農村信用協同組合、農村消費協同組合、販売協同組合など。ただし、その発展は地域によってきわめて不均等だった。
「不均等」は当時の社会をあらわす一つのキータームで、例えば医療はかなり高度だが無医村の死亡率はきわめて高かったり、きわめて近代的な工業と熟練労働力が発展する一方、農村の生活習慣を引きずり、社会基盤をもたない飲んだくれ労働者も数多くいた。識字率も偏差が大きい。第一次大戦に突入した当時のロシア社会は激変する渦中にあった。
1905年当時、「25年間国家財政をみてきた」という上級官吏が、以下のように述べている。
「最後には上からのテロルが下からのテロルを呼び起し、農民反乱が勃発し、暗殺が増えるであろう」「あらゆる面にわたる大破局が起こらない限り、変更はないだろう」「専制は近代の大国のかかえる諸問題を処理する能力に欠けており、専制が外からの圧力無くして自発的に立憲的統治形態に道を譲ると考えるのは歴史上のあらゆる先例に反する」「破局はわれわれすべてが考え、あるいはすすんで認めようとしているよりもおそらくずっと早く訪れるだろう…われわれはあたかも、強い筋肉をもっていながら、おそらく不治の心臓疾患に冒されている運動選手のように、崩壊寸前の状態にある。われわれは借款という刺激剤によってまだ倒れずに立っている。しかしこの刺激剤も、他のあらゆる刺激剤と同様に、全身の破壊をいっそう急速に進めるものでしかない」
▼戦争が国民にもたらした影響は破局的だった。
開戦6ヶ月で軍用金属品の予備が底を突き、輸入の困難も加重してもはや工業、運輸の設備を維持することすらできなくなった。軍隊がこうむった大損失は士気を沮喪させ、2度と回復することはなかった。ブルジョアジーは、政府が国を軍事経済に組織することができない、と不満を抱いた。
首都ペテルブルクは食料・燃料の輸送さえままならず、これが直接革命の引き金を引いた。
臨時政府は、工業を適切に組織することもできず、また軍隊の崩壊を意味するために土地の分配という農民の要求に応じることもできなかった。レーニンは、崩壊を極限まで進めたが、運動そのものはすでに存在していたのである。
農民を党派的に代表したエスエルは、農村内の階級分裂を反映して右派と左派に分かれていた。ボルシェビキは戦術的即興によって農民の分裂に介入し、「プロレタリアートだけが242項の要望書を実行できる」とした。
革命前のレーニンとボルシェビキには、政治戦略に従属した経済論があっただけで、具体的な経済政策は存在しなかったし、そんなことは不可能だった。
▼ネップ
・ネップ評価の前提として、
・当時、ロシア情勢には非常に多くの無政府性と混沌とが存在した。中央からの命令と指示はあまりにも混乱し、矛盾しており、法令にサインした端から忘れ去られるありさまだった。当時起こったことの多くは、中央の命令に起因するというより、これらの命令じたいが混乱と無政府性に対処する絶望的努力だった。
・情勢の全体は内戦に規定された。工業・農業地帯が敵に奪われ、破壊と闘争が続き、交通は分断されるなかで、前線と戦闘の必要に物資を優先して割り当てねばならなかった。
・ボリシェビキのコミュニスト的「幻想」との相互作用。例えば食料の私的商業禁止と配給制。しかしこれ自体はイギリス労働党ですら戦争の必要に迫られて実施したもので、何ら共産主義とイコールではない。
<初期の政策>
・大土地所有地の分割配分(18年2月「土地法」)
―農民の自然発生的な行動を、政府が合法化したもの。ボルシェビキの主な行動は食料の獲得にあった。
・「労働者統制」令(17年11月27日)
―実際は、原料の売却、抜き荷、指令の無視
「労働者統制令が破壊の武器として革命運動に貢献した」(カー)
・最高国民経済会議(ヴェセンハ 17.12.15)
―国有化は、むしろ地方から自然発生的になされた。中央は資本家との提携を検討していた節がある。
<戦時共産主義>
・従来の市場取引関係の崩壊と闇市の繁栄。飢餓の到来。都市は食料・燃料から切り離され、工場は停止する事態に。→国家による全面統制のベクトル
・規律の導入にたいする左翼反対派の批判と論争。
・「食料割当徴発」
―「富農から余剰穀物を徴発する」と言われたが、実際は土地・農具・家畜まで没収した。都市と農村あるいは農民どうしの抗争が勃発した。それでも、内戦のあいだは地主への恐怖がこれを上回った。
―それでも都市の食料60%は闇市場から調達された。配給では生活できず、都市人口が半分に激減した。配給は都市の30%しか賄えなかった。
・貨幣の崩壊
―財政支出は中央銀行が紙幣を刷りまくったためルーブルは価値を失い、現物経済に。国営部門では貨幣は機能を失った。列車や公共サービス、配給も無料。
・労働組合論争
―トロツキーの「労働軍」、反対派の労働者統制にたいし、レーニンはソビエト国家の官僚制的歪みにたいし労組は労働者保護の機能を持つとした。
※内戦の終結は、絶望的に疲れきった国家が残ったが、ロシア全土の資源が入手可能となった。同時に農民反乱が増大した。
問題は、農民および商業・私的小工業。国家は資材配分・配給という流通過程をまったく掌握できないことが明らかとなった。2000万に細分した農民経営を左右することはできず、徴発ももはや通用しない。微細な数万の小工場を統制することもムリだった。違法な闇市の担ぎ屋がいないと都市は餓えた。
「呪われた悪循環」=徴発量の減少→工業生産の不足→徴発強化→…
⇒商業の自由への転換。
レーニン「1794年対1921年」というメモ。ロベスピエール失脚の轍を踏まないため、権力と大工業の枢軸を党が握りしめ、小経営の自由を容認するに至る。

【4】ネップ
・クロンシュタットの反乱を受けて21年3月、党とソビエトは余剰食糧の収奪に代る現物税導入を決定。通貨が安定した24年には貨幣税に。
・同時に、農産品を都市へ運ぶ商業の認可も不可避となる。協同組合商業が奨励されたが、その力は微々たるものだった。党は没収を「商品交換」に代えることに限定するつもりだったが、事態は思惑をはるかに越えた。22―23年度の全小売商業の75%が私的商人によるものだった。
・工業でも、大工業は原料の不足で21年に閉鎖され、国有化される小企業は私人に賃貸された。21年5月には小企業の国有化は正式に廃止。こうして繁栄した私的事業家はネップマンと呼ばれた。大企業だけは国有化が維持された。
▼飢餓 ・徴発の影響で播種面積の減少をもたらし、21年に大飢饉をもたら
した。数百万人が死んだ。
・21年には燃料不足で多くの大工場が閉鎖された。国営工業は、中央の指示で生産し、従業員の給与は現物、食料は配給制、公共サービスも無料だったが、これは膨大な浪費と非効率をもたらした。国営工業を営利的基盤で再建する努力がなされた。国営工業と国営商業は商業計算にもとづいて運営されねばならず、安定した通貨が切望された。
しかし、トラストは現金を増やすため、原料・設備まで投売りせざるを得なかった。商品の売価はしばしば原価を割った。
・運輸
21年当時、使用可能な貨車の半分以上が修理を要し、しかも著しい燃料不足でほとんどが走行不能となった。道路輸送はまだ荷馬車がほとんどであり、数少ない外貨で機関車や農業機械が購入された。
・通貨
ソビエト・ルーブルは減価して紙くずとなり、インフレは23年のドイツを上回った。実際の取り引きは麦などの穀物重量でなされた。金と連動したチェルボネツ貨幣は、高額取り引きでのみ用いられた。24年、二重通貨制度は廃止され、チェルボネツが正貨となった。
22年には銀行が設立され、必要な信用を工業に貸し付けた。
・「鋏状価格差」危機
農産品価格が下落、工業製品が高騰した。
@農業は工業を上回る勢いで復興し、22年には戦前は種面積の90%に達した。他方、破壊された工業の復興にははるかに時間がかかる。固定資本が解体され、その保全を怠り、予備部品と熟練労働者、知識豊かな経営者、燃料、原料、輸送手段がどれも不足していた。A信用制度の整備によって原料売却などの混乱がなくなったB国営工業は非能率で生産原価が高かったC卸売りと小売の分配制度はとりわけ非能率でコスト高だった。取り引きマージンは60%にも達したD進行するインフレは農民に損をもたらした。
・事態に驚いた当局は、信用操作や商業組織の整備を通じて工業品価格の下落に成功する。24年4月には鋏状価格差は閉じてきたが、これが次の課題を惹起することになる。
・この過程を通じて、仕事場を国家が賃貸し、原料供給を国営工業が握っていたことで、小規模生産を統制するのは容易だった。また、協同組合商業網の拡充は次第にネップマンをしのぐようになった。これにも同様の原因が強く働いた。
・都市労働者
戦前1100万人(1913年)いた都市労働者は21/22年度にはわずか650万人。内戦時には現物で支払われた賃金は低下して労働組合の不満を招いたが、経済の回復とともに状況は改善した。しかし、ネップとともに失業が問題となりはじめた。かといって、生産が圧倒的に不足していたので、労働組合はストライキを打つことを控えざるを得なかった。
国営企業では、組合書記と党書記、経営者の3者が重要な役割を果たした。この3頭体制が経営していた。これは「労働者統制」からの一歩前進だった。すべての専門家はブルジョアだったので、これに2人の監督官をつけなくてはならなかった。「生産会議」が開かれ、労働者のなかから新しい型の経営者が育成された。25年4月までに、レニングラードだけで900人が「さまざまな管理、技術、経営の職」の講習に送り込まれた。

【5】大論争
ネップの議論は多くの低開発国での議論と多くの共通項を持つ。
資本蓄積のための資金調達、工業化のための成長戦略、土地改革後の開発に農民が果たすべき役割…。
戦時共産主義とネップとの関係。レーニンは一貫した議論を残してはいない。ネップは、ある面では旅順攻略に例えられる撤退であり、ある面では内戦によって強いられた1918年6月以前の正道―過度の中央集権化、国有化を拒否する漸進の道―への回帰でもあった。
当時の工業化論争は、なかなか輪郭がはっきりせず、派閥抗争が介入することで理論的にはあいまいな点も多かった。実際、農業の私的セクターがもたらす危険性、個人農が営む農業の限界、農民協同組合や集団化の必要性、工業化の必要性、党が政治権力を占有する必要性、などについては両派のあいだで共通していた前提だった。両者の差は、テンポ・方法・危険の評価・共有された目標の優先順位、などにもとづくものだった。
プレオブラジェンスキーら左派の論客にとって、実際には先進ヨーロッパの工業から援助がない限り、革命ロシアが直面した相対的に遅れた工業と農業問題との隘路を戦略的に打開することはロシア1国では不可能だった。
【この点は重要。経済政策をめぐる論争それ自体としては、スターリンとトロツキーとのあいだの差を厳密に区分するものではなかったのである。経済政策それ自体は事態に強制された問題として、筆者が述べたような、開発戦略としてのある種の普遍性をもっており、これ自体を左右する力はボリシェビキにはなかった。】
唯一、ブハーリンは、個人農の繁栄に依拠して余剰生産物を輸出し、工業製品を輸入する、すなわち資本主義ヨーロッパに長期にわたって依存することを構想した点で、深刻な路線問題を提起していた。
・1926年に戦前の実質的経済水準を回復したことで、工業化論争は否応なく議論の正面課題にのぼった。20年代は非常に知的刺激に満ちており、多くの専門家が「均衡対不均衡成長」の議論や後年の投入産出表の原型を生み出した。そのなかにコミュニストは多くはなかった。24年、ゴスプラン職員527名中、党員は運転手・夜警・タイピストなどわずか49名がいただけだった。

【6】ネップの終焉
私的部門への圧迫は1926年頃から顕在化した。もともと私的商業は国営企業の供給に依存していたので、行政措置でじゅうぶんだった。私的商品の輸送には鉄道料金が100〜400%加重され、私的商業の利益率引き下げを狙った財政措置もとられた。「超過利潤への臨時国税」が課された。富裕な農民への課税も増えた。刑法107条が導入され、投機には最高3年の禁固刑と財産の全部または一部没収が規定された。1930年には私的商業と農業は全面的に禁止されるにいたる。
その背景には、@工業の復旧が終わり、電力・石炭・機械工業の若干では戦前水準を上回っていた。拡大再生産の努力が非常な緊張をもたらし、ネップマンは資源の配分、投資計画により生じる物資不足から利益を得ていた。A鋏状価格差を埋めようと工業製品を価格統制する当局の頑なな努力は「商品飢饉」をもたらしていた。ここに投機が介入し、国家が生産した製品を買って農村で転売すれば莫大な利益が得られた。低価格政策は農村向け価格を下げることに失敗し、製品は都市に滞留するか、あるいは農村での価格をより引き上げた。こうして繁栄したネップマンへの敵意が広がりつつあった。B商品飢饉によって農村の販売意欲はそがれた。国家は豊作が続いたのをいいことに穀物購入価格を引き下げた。その結果、農民は穀物を売り惜しみ、他の作物や家畜に生産を集中させた。
こうした経済政策の混乱の大半はスターリンの政治的スタンスにあった。工業製品価格の引き上げによる計画化原資の調達を主張するトロツキー、農産品価格の引き上げによる農民優遇を主張するブハーリンのいずれにもスターリンは反対していた。
・1928年には農産物価格の引き上げを願う農民が大規模な退蔵を行い、これにたいして当局は戦時共産主義とみまがうべき穀物の強制調達で対応した(とりわけウラル・シベリア地方)。これは来るべき集団化の前触れだった。29年11月、大規模な集団化が発表された。体制がこれ以上不安定な農民の意向に左右されないよう、スターリンが決断したのだった。
いずれにせよ問題は煮詰まっていた。右派は農産物価格の引き上げを要求し、左派は工業化の進捗を求めていた。私的農業と周期的な強制とにもとづいてやっていくことはもはや限界だと感じられた。左派の政策を盗んでももはやトロツキー、プレオブラジェンスキーもいなかった。29年5月「5カ年計画」が発表されたが、その原資は農民に求められた。33年までに小農を集団化することが決められた。「5ヵ年計画」は大きな熱意で迎えられた。
クラークの追放に関する議論はすでに29年後半からなされていた。穀物退蔵の摘発と集団化との関連ははっきりしなかったが、それは一歩の差だった。30万とも言われる「クラーク」がシベリアに追放された。追放の恐怖が農民を集団化させるのに役立った。下部機構の行き過ぎが横行し、スターリンが歯止めをかけたことで大混乱に陥った。農民のなかで家畜の屠殺が蔓延した。
スターリンは銃殺を含む強制措置で対応したが、これはもはやソビエト国家が農民と戦争状態にあることを認めるに等しかった。
「本質的な問題はまったく単純そのものだった。収穫高はみじめに少なく、農民たちは意気阻喪していた。コルホーズは効率が悪く、馬は屠殺されるか、餓死するかであった。しかもトラクター台数はいぜんとしてあまりに少なく、その維持も悪く、また輸送機関も不十分であった。小売商業制度は(とくに農村部では)私的取引の性急な廃止によってまったく解体していた」
農民は、30年以降若干の自家用食糧作物栽培が許容されたことで辛うじて生き延びた。これがなければ「上からの革命」の混乱と苦難を生き延びることは到底不可能だったはずである。
実際のところ、統計資料が不備でもあり、ほんとうに進行した事態が何だったかを今日明らかにすることは難しい。したがって本書も、農業集団化による未曾有の農民たちの困苦が、果たして工業化フォンドの蓄積に役立ったかどうか、はっきり断定できないとしている。

【8】大躍進(28〜32年 第1次工業化計画)
工業化を進めたスターリンの動機は、先進国から遅れたロシアは、他国が50〜100年でやったことを10年でやり遂げねばならない、さもなければロシアは粉砕される、という危機感だった。
「大躍進」という急速な工業化計画は、未曾有の混乱とテロルを通じて、一定の工業を建設することを可能とした。しかし、その帳尻あわせも、厳密に算出することはできない。およそ非科学的・非統計的な行政的手法が適用された。反対する者は「階級敵」とされた。

【9】大躍進から戦争へ(33〜37年 第二次工業化計画)
35年当時、人々の生活水準は28年のそれを上回っていなかった。第1次計画で重工業の生産が飛躍的に伸びた結果、第二次計画では消費財工業部門に力を入れるはずだったが、ヒトラーの台頭が軍事部門への比重を移さざるを得なくしたため、再び重化学工業部門へと比重が移された。この過程、国防費はほとんど倍々の勢いで伸びている(p268表)。
37年に成長は減速。その要因の大なるものは、前後に行われた大粛清にあった。党カードル、軍将校、官僚、企業庁、技術者、統計担当者、計画担当者、職長のかなりの部分を一掃し、生産に重大な支障を及ぼした。
しかし、巨大な損失と浪費にも関わらず、対独戦をたたかう重工業の基礎はこの過程で基本的に形成されたのである。西側資本主義は大恐慌に喘いでおり、何らモデルたりえなかった。
【この過程、生産の計画化・組織化の叙述、その官僚的にゆがめられた形での苦闘と模索は、プロ独権力が社会全体を組織するうえで何が問題となるのか、をめぐって巨大な教訓を残していると感じる。計画・統計の作成、原料・半製品の配分、技術者・熟練労働者の養成、賃金・社会保障政策などなど。】

【10〜】
スターリンは結局、死ぬまで農業問題を解決できなかった。農民がコルホーズから得る収入はごくわずかで、限られた私有地抜きには生存すら不可能な状態がずっと続いた。労働者も、対独戦の費用を結局は押し付けられて、大変な戦後状況を生き抜くこととなる。
生産は、ボスのお気に召すように量的拡大だけが追及され、効率・生産性は無視された。膨大な生産ロスが生まれ、いくつかの技術革新は導入されずに遅れをとった(化学工業、石油・天然ガスの採掘など)。
53年のスターリン死後、ただちに生産財(重工業)偏重から消費財・農業部門の重視へと改革策がとられた。しかし、いずれも資源の不足あるいは配分の技術的問題(省庁間の縦割による弊害など)によって頓挫せざるを得なかった。

【筆者は当然ながらブルジョア経済学者の限界を抱えている。たとえば筆者は、ソ連の「大躍進】・重工業化にとって、スターリンの抑圧とテロル、膨大な生産のロス、民生と労働者の生活要求が無慈悲なまでに無視されたことは、西側でも戦時経済では避けられない一定のロスとして受け止めえるものではないか、ロシア経済は「特殊な戦時経済」として理解できる、少数の熱意あるエリートが上から工業化プランを押し付けていく以外にロシアを工業化し、一定の教育を受けた民衆に生産施設と文化を引き渡すことはできなかったのではないか、という結論に達している。戦争と専制で疲弊した後進ロシアの"避けられない悲劇"だったとする立場。ここに、後進諸国でロシアが今なお(82年当時)経済発展モデルとして非常に魅力的な位置を占める理由もあるという。ここには一定の真実と、明らかな誤謬が含まれる。】


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