搾取か収奪か
掛川論文(本紙21〜22号)への意見

松崎 五郎


掛川氏は、「〈生産資本から架空貨幣資本に基軸が移行した〉と概念規定を行うことは、現象に振り回され過ぎだと言えよう」「究極的には剰余労働をどれだけ搾取したかによってその存在は規定されている」と、HT通信員の説を批判されています。
しかし、私は、現下の状況は「生産資本から架空貨幣資本に基軸が移行した」と捉える方が正しいと思います。なぜなら、それが資本主義の発展が最後的に行き詰まった、崩壊直前の状態であると思うからです。
だから逆に「新たな信用資本主義」などと新段階的に言うのも間違っていると思っています。

架空の貨幣資本とは

この論争の前提になる架空性・架空貨幣資本について、少し述べたいと思います。

消費税の詐欺的手法

まず消費税。販売価格(生産価格)100円のものを105円で売って5円の税金をとるというものですが、この5円に相当する価値はまったく創られていないのですから、架空そのものです。
にもかかわらず政府は、収入に対応した高額所得者の所得税や法人税を減らして、大衆収奪である消費税の増税で埋めているのですから、増税の根拠を現実・実体から架空話につまり詐欺的手法に、政府自身が転換していると言えるのではないでしょうか。

株の額面と時価

次に株。会社を設立し、100円の株を発行して資本金100円を得て事業を始めた。業績がよく高配当したため、額面100円の株券が500円で取り引きされるようになったとすると、500マイナス100、つまり400円に相当する価値はどこにあるのですか。
額面の100円分は会社の機械などに対応していますが、400円はまったくの架空です。そして経済界・社会は 株価の上がり下がりに一喜一憂しています。今回の金融危機でも、所有証券の評価額が下がって倒産したという例も生じています。架空が現実資本(実体経済)の生死を握っているのではないでしょうか。

実体のない国債

国債。政府が国債を発行して得たお金は、公務員の賃金などに使われてなくなっているのに、買った国債を担保にすれば、お金を借りることができます。
利子を無視すれば、最初に持っていた100円は国債を買ってなくなったはずなのに、しかも現実にも政府によって使われてしまったのに、再度借りた100円が手元にあるのです。この後の100円は何一つ実体とは対応していず、架空そのものです。
日本の国と地方の長期債務残高は、GDPの約1・5倍の800兆円と言われています。国債と地方債だけで、すでに架空が実体生産をこえているのです。世界の金融資産の合計は、GDPの約3・5倍と言われています。

架空の貨幣資本の利潤の源泉

ところでこの膨大な架空の貨幣資本は、どこから利潤を得ているのでしょうか。

搾取後の労賃から収奪

投機的儲けはすべて再投資に回され、収入としては使われないで、産業資本の利潤から得た利子分だけを貨幣資本家が収入としているのなら、確かに生産資本が軸と言えるでしょう。
しかし、今回の金融危機の発端になったサブプライムローンは、低所得の労働者の給料から払われています。つまり、搾取後の労賃から収奪しているのです。最初にあげた消費税も同じく、搾取後の労賃から収奪しているのです。もともと税金は搾取ではなく収奪です。

さらに略奪

さらに、対応する価値としては創られていない投機的儲けも、収入として使われています。
株価が400円から500円に上がって100円儲かったとして、この100円で買うものはどこにあるのかです。400円から500円の上昇は、単なる架空資本(擬制資本)の名目的上昇なので、対応するモノはどこにも創られていません。にもかかわらず、資本主義ではお金があれば買えるのです。だから本来買うべき人は買えなくなります。
これは搾取ではありません。貨幣資本が、架空資本での儲けを使って、現実の価値を略奪しているのです。

ヘゲモニーは貨幣資本

つまり現在の(架空の)貨幣資本は、産業資本から利子をとるだけではなく、すべての人びとから収奪も略奪もしているのです。
もちろん、産業資本が、膨大にふくれ上がった貨幣資本に利子を払うために、労働者の労賃を切り下げたりクビ切りしたりしますが、これ自身、貨幣資本が産業資本の利潤をこえて利子をとろうとするからです。ヘゲモニーが、明らかに貨幣資本の方に移動しているのです。

不安定雇用

もし産業資本の方にヘゲモニーがあるなら、「今は利潤がでないから利子は払えない」と言えるじゃないですか。そんなことをしたら即倒産です。
だから、生産過程の合理性を無視した人員削減や高給の熟練工が低賃金の派遣やアルバイトに置き換えられることが、蔓延しているのです。それだけではなく、食料品の偽装が後を絶たないのも、原因は同じであり、偽装は明らかに詐欺的収奪・略奪です。

恐慌対策も架空資本へ

さらに、今回の金融危機の対策として、日米欧の各国は、膨大なカネを銀行や証券、保険に投入しました。それだけのカネが出せるのなら、もともとの原因である個人のサブプライムローンの焦げつきを、国が肩代りすれば済んだのではないかと思います。そうすれば、ローンを払えなくなった人が住む家をとりあげられることはなかったのです。
つまり政府の対策自身が、実体ではなく架空の方でしか考えられていないのです。しかも、架空での対策は、実体での対策の数倍のお金を必要とするのにです。
石油価格が高騰したのは投機マネーのせいであり、日々テレビで放映される為替変動も貿易とは無関係に投機マネーが動かしており、現在の世界経済状況は、「架空貨幣資本に基軸が移行した」状態です。

資本主義の拡大再生産の行きづまり

理論的には、利子は利潤から支払われるので、利潤の方が大きいです。だから、本来なら、貨幣資本家は株主として産業資本家に投資します。
貨幣資本が投機に走るということは、利潤の分け前である配当や利子が期待できなくなって、利子率の低下と買いの殺到で値上がりする株や土地などの売買差額で儲けを出そうとするからです。
つまり、投機の全盛は、資本主義の発展・拡大再生産が行き詰まったことの資本家的表現なのです。それは同時に、失業資本つまり投資先のない架空貨幣資本が、膨大に膨れ上がっていることの表現でもあるのです。

搾取も収奪も

これを労働者人民に引きつけて言えば、搾取の上に収奪もされるということです。
ここ10年ほど「格差」が問題になっていますが、搾取の上に収奪もされるようになったから(そしてそれをテコに更に搾取も強化されたから)格差が生じているのです。消費税も赤字国債もない、収奪があまり問題にならなかった以前は、「総中流化」でした。
「架空貨幣資本に基軸が移行した」と捉えることは、帝国主義・資本主義がついに終わりを迎えたということを、理論的により鮮明にすることではないでしょうか。
「搾取か収奪か」から「労働運動か民族解放闘争か」と二律背反的に問題をたてることは間違っていると思います。それぞれが一対一的に対応するとは思いませんが、それはともかく、搾取の上に収奪・略奪もされているのですから、労働運動も民族解放闘争もどちらも必要なのではないでしょうか。
(革共同通信23号掲載)


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