18号「大恐慌の突入をどうとらえるか」
(HT通信員の論文)への意見

掛川 徹


世界史的な大恐慌が勃発した。HT通信員の小論〔革共同通信18号掲載〕は、現代世界が労働者階級に提起する巨大なテーマに正面から取り組もうとする意欲的な論文として評価しうる。特に、極限的な投機資金の存在が重要な役割を果たしている点、レーニンの時代に比べて金融資本の実態が多様化し、〈銀行による産業資本の支配〉という古典的な規定だけで金融資本を捉えることが難しくなっている現実―これらのテーマを積極的に扱っている点を評価し、問題意識を共有する。
ただし残念ながら、HT氏の論考は問題を立てるにあたってマルクス主義経済学の基本概念が曖昧で、明確な間違いも含んでいる。 議論を喚起するため、以下、感想と意見を提起する。

60年代以降の展開の俯瞰

現在の恐慌で、サブプライム・ローンに投入された巨額の投機資金の存在が問題となっている。実体経済の5〜6倍にも達すると言われる世界規模の投機資金が原油や食料の高騰を引き起こし、世界中で人民の生活を破壊してきたが、その投機資金がついに破綻をきたし、大元である米帝金融資本、証券資本が軒並み倒産、世界恐慌が始まった。
現在展開している世界恐慌の全体像をとらえるためには、60年代末の世界的な過剰資本の露呈とドル危機→71年金ドル兌換停止→74〜75年恐慌という地点から振り返って全体像を俯瞰することが必要である。
特に巨額投機資金の存在は71年金ドル兌換停止=変動為替相場制導入を直接の契機に発生した点からみても、現在の世界恐慌が74〜75年世界恐慌の直接の帰結であり、その時以来蓄積された帝国主義の基本矛盾がついに爆発したものだと言えるからである。

金本位制

ところで、自由主義段階では、金(・銀)以外に貨幣は存在しない。銀行券は金兌換券という形で金と連動した形でのみ存在し、手形も一定期間後に金と引き換える保証書だと言ってよい。中央銀行の金兌換券発行量は自行が所有する金量に規制されており、市場で信用が崩壊していれば、恐慌時に金の全量を市場に投入したところで支払い手段としての必要額を賄うには到底足りない。つまり、「貨幣の追加投入」は原理論レベルではそもそも不可能である。
大戦中の一時期を除けば、資本主義経済における金の役割は戦後世界体制でも基本的に変わっておらず、金ドル兌換停止に至るまで固定相場制の下で各国通貨は金価格と連動する形で厳重に管理され、貿易黒字や貿易赤字を解消するための財政政策が厳格に実施されたのである。現在のような無制限の赤字国債発行による財政赤字や貿易赤字はたちまちインフレ→通貨切り下げを招くため、当時は実行不可能だった。固定為替相場制の下では恐慌といえども市場に「貨幣の追加投入」を行う余地はなかったのである。

71年金ドル兌換停止

60年代末の過剰資本(慢性的な過剰設備を抱えた利潤率の低下)という基調のもとでベトナム戦費の負担増に悩む米帝は、ドル垂れ流し政策で対応したところ、たちまちこれがドル危機となってはねかえり、ドルの信用低下→各国中央銀行がドル貨を金と兌換→米国内の金が大量に流出という事態となって米帝は金兌換停止に追いやられる。
こうして、74〜75年恐慌に至る過程で金ドル兌換が停止(71年)され、変動相場制が導入されることによって、はじめて金の保有量に制約されない形でドルの発行が可能となり、これに伴って国債の無制限の発行も行われるようになる。

経済の投機化

これが投機資金台頭の発端となった。変動為替相場制の下では、国際貿易で物を売買する際、リスクヘッジのために必ず売買当事者は為替相場で先物取引を行う。契約→商品引渡し→支払いに時間がかかるため、契約時点で一定期間後のドル相場を見込んで相互に取引を行うわけである。これ自体は通常の商取引で投機ではないが、膨大な先物取引がなされる点で投機を専門とする業者が台頭する実体的基盤となっている。このあたりはスーザン・ストレンジ「カジノ資本主義」がすでに1986年の時点で指摘している。
その後、80〜90年代を通じて、米帝主導で金融自由化、いわゆる金融ビッグバンが世界的に推進される。この過程で、金融・証券相互の境界が取り払われ、手数料なども自由化されて、ヘッジ・ファンドが台頭する基盤が政策的に準備された。また、株式市場から企業が資金調達する手法も発達し、銀行に依拠しない巨大資本も次々と現れた。

変動相場制の下での恐慌のメカニズム

この全過程を詳述する力量はないが基本的視点のみ提起したい。

恐慌とは

そもそも恐慌すなわち過剰資本の発現とは、賃金奴隷制度という生産様式の下では労働者の絶対的な過小消費・市場の峡溢が制約となってもはやこれ以上資本が利潤を上げることができなくなり、賃労働と資本の関係そのものを自己破壊するに至る、そういう現象である。
原理論の次元では、投機にもとづく生産の拡張→資金の不足(利子率高騰)、労働者の不足(賃金の高騰)→利子率と賃金の高騰で利潤率がゼロに→恐慌勃発、という契機で恐慌が生じるとされる。

信用の崩壊

ここで問題なのは、恐慌が必ず信用の崩壊、支払手段の絶対的不足を契機として発現することから、帝国主義の恐慌対策が一貫して貨幣と金との連動を断ち切り、貨幣の流動性を確保する、すなわち、無制限にドルを発行しながら一方ではドル暴落を防止する点にこだわって展開されてきたことである。
これと一体で巨額の財政赤字を伴う財政政策の発動も恐慌対策のもう一つの柱として推進されてきたが、これらの点が現在の恐慌を把握するうえで重要な視点になるのではないか。

現代の恐慌の特徴

通貨の流動性をある程度人為的に操作してきた点で、現代の恐慌は自由主義段階の恐慌と様相が異なっていることは確かである。厳密な検証を要するとは思うが、それでも概略次のように言えるのではないか。
帝国主義の下では過剰資本状態が慢性化する傾向をもつが、この矛盾を繰り延べするために帝国主義はたえず金融・財政政策を発動し、矛盾をさらに巨大なものへと膨らませてきた。その結果、資金は生産にたいして過剰となり、商品は市場にたいして過剰となり、生産は需要にたいして過剰となる―すべてがすべてにたいして過剰となる形で過剰資本状態が発現し、最後的にはこれが信用の崩壊、支払い手段の絶対的不足を契機として恐慌すなわち資本価値の全面的破壊が資本の変態過程のあらゆる局面で激烈に進行する。

過剰設備と過剰資金

従来、われわれは「過剰資本・過剰生産力」規定において“帝国主義段階での過剰資本状態すなわち利潤率の低下は、市場にたいする生産設備の慢性的過剰を伴う”と提起し、資本の生産部門に着目してきたが、今日的にみれば、過剰生産設備と一体をなすものとして、行き場のない過剰資金が資本の金融部門で膨大に蓄積されてきたのである。
とりわけ金融ビッグバン以降、90年代にはドル暴落を回避するため人為的に金融投機を奨励し、恐慌と紙一重の状態にありながら投機につぐ投機でさらに生産を拡大することで、過剰資本の矛盾を極限まで蓄積してきたと言えるだろう。

変動相場制の導入とより激烈な恐慌の準備

以上の視点に踏まえて、80〜90年代の金融・財政政策を跡付けていくことが必要なのではないかと考える。
ヘッジ・ファンドなど実体経済の数倍に膨れた投機資金の存在を現代帝国主義論にいかに位置づけるか、金融・証券が一体化している状態で「金融資本」の実体がいかなる変容を受けているのか、さらには、長年にわたる財政政策の発動によって米帝国家財政のほぼ半分近くを軍事費が占め、国民の2人に1人が何らかの形で軍事産業に関わっていると言われる問題、米軍の巨大さそれ自体が自己運動して政治経済過程に及ぼす反作用の大きさ(イラクでの戦費負担が恐慌の大きな一因となっている点など)―いくつも大きなテーマが存在するが、われわれがこうした理論的諸課題を解明するうえで、繰り返しになるが、恐慌が原論的な形で展開するのを帝国主義が何とか阻止するために、変動為替相場制を導入し、金融・財政政策を人為的に操作することを通して、さらなる膨大な投機をもたらし、激烈な恐慌を準備した、という枠組みで整理すべきだろうと思う。
こういう観点からみて、「架空の貨幣資本」という概念規定はかなりあいまいな規定だと思われる。

賃労働と資本の極限的対立というテーマが後景化

一つに、恐慌が提起する最大の問題=賃労働と資本の極限的対立というテーマが後景化する危惧を抱く。
資本は社会的労働時間を抽象化した価値の運動体であり、価値の増殖はあくまでも剰余労働の搾取に実体的根拠がある。日帝の場合はやはり自動車・鉄鋼・電機・化学であろう。基軸帝国主義=米帝が没落して基幹産業がボロボロとなり、軍事・通信・金融・エネルギーなどかろうじて優位性を誇る産業部門で徹底攻勢をかけてきたことは事実だが、これをもって〈生産資本から架空貨幣資本へと基軸が移行した〉と概念規定を行うことは、現象に振り回されすぎだと言えよう。「カネがカネを生む」かに見える貨幣資本といえども、資本の蓄積が価値の増殖を意味する以上、究極的には剰余労働をどれだけ搾取したかによってその存在は規定されている。だから信用の崩壊、恐慌という形で最後は決済される。現在の投機資金といえども、収奪を基軸として自己運動していると見るのは行き過ぎであろう。資本の増殖は労働の搾取にもっとも依拠しているのだから、「架空」すなわち投機資金に基軸があるとすると、恐慌を契機に極限化する労働過程をめぐる賃労働と資本の死闘が位置づかなくなる、ということである。
(資本による収奪という問題は、農業・農民問題、民族解放・革命戦争を位置づけるうえで重要な規定だが、「貨幣資本による収奪」が帝の基軸だということは、理論的には現代革命の基軸は労働運動ではなく民族解放運動だということになってしまうのである。)

<分裂・ブロック化から世界戦争へ>のシェーマがあいまいに

恐慌が提起するもう一つの重要な課題は、過剰資本は自らのはけ口を求めて限られた世界市場を相互に分割し、究極的には戦争によって、敵対資本を物理的に破壊することで過剰資本を処理するということである。現在の世界恐慌は、帝国主義の世界的分裂・ブロック化から世界戦争へと至る過程の始まりであり、「連帯し侵略戦争を内乱へ」という戦略的総路線こそが恐慌にたいするわれわれの最大の実践的結論でなくてはならないのである。HT氏の恐慌論ではこの点の認識が弱くなる気がする。
資本価値の全般的破壊ということは、信用の崩壊にともなって通貨が暴落すなわちインフレとなり、投機資金が消滅し、金融機関が軒並み破綻し、巨大資本の倒産・再編が相次ぎ、労働者が路頭に放り出されるということである。おそらくドル暴落にまで至るだろうが、そうすると各国政府も国債発行が不可能となり、自治体どころか国家そのものが「財政再建団体」化する。公務員の給与は遅配、母子家庭や生活保護世帯への支給は滞り、年金生活者の手取りは激減する。生産縮小に伴って派遣労働者は軒並み解雇され、かろうじてクビがつながった正社員にも合理化の嵐が吹き荒れる。誰もが社会を呪い、一握りの資産家にたいする憎悪をつのらせ、自然発生的なストライキ・暴動・内乱が各地で勃発するだろう。これにたいして失業者の大群を軍隊に吸収し、朝鮮・中国への侵略戦争に駆り立てていく動きがいよいよ本格化するだろう。
こうした時代、労働者が自主的な組織を維持していることそれ自体がソビエトの萌芽となりうる。まさに革命情勢が到来しつつある。30年代の教訓に踏まえ、資本はありとあらゆる労働者組織の存在を許さず、体制内労働運動ですらもはや存続を許さない組織絶滅型の資本攻勢を労働者にしかけてくるだろう。世界恐慌がわれわれに課している実践的・理論的責務は重大である。
(革共同通信21・22号掲載)